ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

MEMO:科学者の責任、キリスト者の責任

 南山大学の南山宗教文化研究所「科学・こころ・宗教」プロジェクトのブログで、「ES細胞研究の規制緩和へ」という記事があった。
 その中で、

■研究者の責任、より重く

 ES細胞研究の門戸が拡大されることで、研究者の責任は以前に増して重くなる。改正指針が決まれば、研究のための「使用」は、国の倫理審査がなくなり、研究機関の倫理委の判断に委ねられることになる。しっかりとした判断ができるかどうかが、カギを握る。 

 だが大学や研究機関の倫理審査体制が十分かどうか、国が調査したことはない。今年度から外国の審査体制や国内の実態調査を始める方針だ。

という段落があった。これを読みながら、『ゲノムと聖書』の補遺でコリンズ博士が語っていたことを思い出した。

ゲノミクスやその関連領域の発展に伴って現れる、倫理的ジレンマのいくつかを概観したが、決してこれがすべてではない。新しいジレンマは日々新たに生まれているし、ここで言及したものでも、やがて問題ではなくなるものもあるだろう。おとぎ話や非現実的なシナリオではなく、真に倫理的に扱いが難しい問題について、我々は社会全体として、どのように結論を出せばよいのだろうか。(263-4頁)

 コリンズ博士は、その判断を科学者だけにまかせてはいけないと言っていた。科学者だからといって、ほかの人よりも倫理観が特別に発達しているわけではないからだ。コリンズ博士は言う。「したがって、倫理的な問題を考慮するにあたっては、科学以外の幅広い視点を取り入れる必要がある。しかし、これらの議論に参加する科学者以外の人たちには、科学的な事実関係をしっかりと学び、把握してもらわなければならない。」(太字ははちこ。)

 アメリカでは、医療研究の最高峰、NIH(国立衛生研究所)の新しい所長に、オバマ大統領によってコリンズ博士が指名されている。議会で承認されれば就任する予定だ。医療や医学研究の発達とともに、倫理的にも難しい問題がどんどん出てきている今だからこそ、コリンズ博士のような人が所長になるというのは、とても頼もしく、喜ばしいことだと思う。アメリカのメディアでも、ニュースサイトに投稿されている一般の人のコメントでも、コリンズ博士が福音主義のクリスチャンであるということを踏まえた上で、彼の実績と人格の素晴らしさに触れ、コリンズ博士は適任であるとの声が多いようだ。(たとえば、ワシントンポストの記事NYタイムズの読者から

 医療や医療技術の発達も、神様が人間に許してくださっている賜物だと思うが、それを濫用してバベルの塔のようにならないためにも、神を畏れ、神が造られた命の尊厳を理解している人たちが、この分野でどんどん活躍してくれることを願う。そして、科学者ではない私たちも、できる範囲で「科学的な事実関係をしっかりと学」ぶことの大切さを思う。主よ、私たちを助け導いてください。

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