ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

Rapture

 夕べの食事の時間、エミがおもむろに言った。

 「お母さんは、黙示録をどう解釈してる? 『レフトビハインド』みたいなシナリオを、受け入れてる?」

 ご飯を噴きそうになった。

 数日前、エミたちのバイブルスタディのグループで、みんなが大学に行ってバラバラになる前の最後の集まりがあり、そのとき、黙示録について話し、それが話題になったらしい。『レフトビハインド』みたいなのが当然の将来のシナリオとして教えられてきた感があったけれど、本当にそうなのか?と疑問がわいたようだ。

 以前私たちが行っていた教会では、艱難前の携挙を教えていた。まさにレフトビハインドみたいな感じ。実は、日本の母教会では携挙について聴いたことがなく、こっちの教会に来て初めて聴いて、へえ〜っという感じだった。(今行っている教会ではどういう立場なのか、話題が出たことがないのでわからない。でも、スモールグループでテサロニケの学びをやったときは、携挙は当然あるという前提のもとで話が進んでいた。)

 で、私も素直にそれを受け入れていたが、その後、神学的にも実はいろいろな解釈があると知り、逆に、やっぱりそうだろうな、と思った。携挙の根拠とされている聖書箇所も、そうといえばそうとも言えるし、そうではないといえばそうではないと言えそうだし、微妙だと思う。

 そして、私としては、正直なところ、携挙があってもなくても、どちらでもいい、というか、あってもなくても、私の信仰にも私の生き方にも何ら変化はないだろうと思う。私の希望は、携挙にあるのでなく、キリストの十字架にあるのだから。

 しかし、夕べ、私にとって携挙うんぬんよりももっと興味深かったのは、二度めの聖書通読を終えた娘が、積極的に聖書に取り組み始めたことだ。聖書に関すること、霊的な事柄に関しても、教えられたことをただ鵜呑みにするのではなく、自分で聖書を読み、自分で祈り、自分で考えるようになったこと。

 彼女は最近、『The Shack』も読み、これについてもいろいろ思うところがあったようだ。私はまだ読んでいないので、「お母さんも早く読んでよ」と言われている。ディスカッションしたいらしい。エミとしては、『The Shack』には魅力的な部分も多かったものの、聖書的ではないのでは?と思える箇所もいくつかあったらしい。彼女がそういうことをdetectできるようになったのが(彼女なりにであっても)、とても頼もしく思えた。 この本は実際、アメリカのキリスト教界でも賛否両論あって、ユージーン・ピーターソンは「現代の天路歴程」と呼んで絶賛しているものの、ある神学者や牧師たちは、ほとんど異端だ、とまで言っている。私も早く読んで、エミと語り合いたい。(ちなみに、『The Shack』は、日本語でも『神の小屋』というタイトルでサンマーク出版から邦訳出版されています。)

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