ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

大晦日

 大晦日です。コンロでは、テールスープ(コムタン? ソルロンタン?)を煮ています。いい具合にスープが白濁してきて、テールとにんにくしか入っていないのに、すごくいい香り。アクと油をこまめにすくい取る以外には、ほんと、手間いらず。
 一年を振り返ってみると、今年は大きな年だったと思う。まず、エミの大学受験があり、冬の悪天候の中を大学のオーディションのためにかけずり回ったのがいい思い出。結局、オーディションのなかった大学に決まった。(笑)いろいろあったエミの高校生活だったけれど、本当に良い経験を積み、あの子も随分成長したと思う。
 また今年は、翻訳書も2冊出版し、3冊めももうすぐ完成というところまできた。年のはじめから、翻訳に追われ続けていたけれど、やりがいのある仕事ばかりで感謝だった。
 春にはJCFNの理事に就任した。この役割は私にとってまだ未知数の部分が大きく、いまだに私に何ができるのかわからない。神様がどんなふうに私を導き、用いられようとしておられるのか、よく耳を傾け、へりくだって主の導きについていきたい。(本当は、逃げ出したい思いもあるけれど。)
 夏には、長年懸案になっていた家周りのプロジェクトや家族のことをいろいろやって、満足度が高かった。6月には結婚20周年を迎えたし、イエローストーンへの旅行は本当に楽しかった。たしんさんが結婚20周年を祝って作ってくださった記念Tシャツは、一生の記念品。
 9月にはエミを大学に送り出し、中村家も一つの重要な節目を迎えた。子供の高校卒業というのは、少なくともアメリカにおいては育児をする者にとって、「ひと仕事終えた」と言える出来事。うちはまだ3人残っているのでちっとものんびりできないけれど、ひとまず一人めがここまで到達できて、ただ感謝。もちろん、あれが足りなかった、これができなかったという思いは確かにいろいろあるのだけれど、それもこれも、主の恵みの前に差し出すだけ。
 エミも大人になってきたなと実感した一つに、アーバナ学生宣教大会の参加費のことがある。これに参加するにあたり、あの子は費用を全部自分で出した。(食費やホテル代も入れると、結構高いのです。)助けてと言って来るかと思ってたけど(そして言われれば助けるつもりでいたんだけど)、言ってこなかった。宿や昼食のアレンジも、自分で関係者と連絡を取って、ちゃんとやっていた。思えば、秋にあった聖研のリトリートの参加費も自分で工面したようだったし、年度末にはグリークラブがカナダのケベックにツアーに行くらしく、その費用も自分で出すつもりらしい。大学生になるときに、大学の費用以外の費用は、これからはすべて自分でやり繰りしなさいと言い渡してあったので、当然と言えば当然だけれど、改めて、あの子は独り立ちしつつあり、親はすでに手を放したのだと思わされた。
 みんは高校二年生(6月に15歳になったので日本なら中学3年生)になり、ティーンパワー炸裂。私と衝突することも少なくなかった。衝突と言っても、怒鳴り合いの喧嘩などではないのは感謝。そして、彼女も私が彼女のためを思って言っていることを理解しているので、最後にはいつも、「Thank you, mom. I love you.」と言ってくれる。彼女のその成熟した対応に、私の方こそ、彼女の痛みに対する共感が足りなかったと反省させられることも少なからずあった。みんとの関係の中で、私自身の弱さ、足りない部分を切実に感じさせらている。私の来年への課題だと思う。(数日前にも衝突があり、ついアマゾンでBoundaries with Teensを購入してしまった。笑 今日届いたので、早速読もう。)みんには、ものすごく素晴らしい部分と、何とかして今のうちにworkしないと、彼女の人生で将来大きな足かせになりそうな弱い部分とがある。(まぁ、誰でもそうだろうけど。)本人もそれを自覚しているし、苦労しながらも努力しているのがわかる。一つひとつ、葛藤しながらもwise choiceをしようとしているのがわかる。主がみんを導いてくださいますように。また、みん自身が、主に委ねられた人生のよき管理者として、主の助けを請い求めることの必要を感じてくれますように。
 一方ま〜やは、私とみんが衝突するのを見ながら、静かに自分が学ぶべきことを吸収しているように見える。随分しっかりした12歳になってくれている。来年2月には教会の中学生キャンプに行く。最初は行かないと言っていたのだけれど、主が一緒に行く友人を与えてくださり、彼女も行く気になってくれた。このキャンプが、彼女にとって霊的に重要な転機となるよう、祈っている。
 ケンは、今年は思いがけず(?)受洗に導かれ、親にとっても大きな喜びだった。

 今年は、結婚生活の上でも育児の上でも、ひとつの節目だったのに、なんだか充分に立ち止まって思いを巡らせている暇もなかったようにも思う。自分なりに多忙になりすぎないように気をつけていたつもりだけど、来年はもっと自己管理に気を配った方がいいかもしれない。そして、自己管理とは、主にとどまることを選び続ける、ということなのかもしれない。勇み足になって、主から離れたところで何かをしようと思わないように。臆病になって、主に差し出されているものを拒んでしまうことがないように。
 

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。ヨハネ15:5

 主よ、私はあなたから離れては、何もすることができません。新年も、あなたが多くのことをなさろうとしておられるのを感じます。どうか私が、あなたにしっかりとどまり、またあなたに私の中にとどまっていただき、あなたの実を豊かに結ぶ者であれますように。そのために必要な刈込みにも、恐れず自分を差し出すことができますように。

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 2009年も、このブログを読みに来てくださっていた皆様、どうもありがとうございました。来年はどういうペースで続けることになるかまだわかりませんが、続ける限りは、皆様と一緒に主の愛のうちに成長させていただけたらと願っております。
 2010年が、皆様にとって、祝福と主の新しい御業に満ちた年になりますように。

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