ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

Mercy seat

 昨日の「自己憐憫から目を覚ましなさい」の話しに反応して、ある人からメールをいただいた。その方も、ある個人的なことで自己憐憫に陥っていたそうだけれど、昨日の記事に励まされたとのことで、私もとても嬉しかった。そして、その方が昨日の記事を読んで思わされたこととして、さらに分かちあってくださったことに、私は本当に励まされた。なぜなら、昨日の記事には書かなかったけれど、そのことこそ、まさに私自身も語られたことの核だったから。

 その方は、ヘブル書4:14を引用して、こう言われた。

「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。大祭司はみな、人々の中から選ばれ、神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、罪のために、ささげ物といけにえとをささげるためです。彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。」

自分で自分を憐れむのではなくて、それも、ある程度は許されていることですが、主の憐れみにすがる、大祭司として、どこまでも、徹底的に、僕たちの心や感情の底の底までを理解して下さる方に希望を置くことでしか、本来は希望を見出せないのだということを、覚えました。

 アーメン! まさにそういうことなのです!ジェイの話しを聞いて、私は彼の人生、彼の選択の中に生きて働いておられる偉大なる神、大いなる憐れみに満ちた神の力を見ました。そして「自己憐憫から目を覚ましなさい」と心に語られたとき、それは、「あなたの痛みなど大したことはない。あなたよりももっと大変な思いをしている人たちはいるのだよ」と言われたのではありませんでした。そうではなく、「あなたが自分で自分を憐れんだところで、何ができる? それよりも、わたしにあなたのことを憐れませてごらん。わたしがあなたを憐れむときに何が起こるか、それを見たいとは思わないかい?Let go of your self-pity. Rather, let ME have mercy on you.」そのように心に感じたのです。

 それから御言葉が示され、「そうだ、主ご自身が、『わたしが救う』『わたしが守る』『わたしが起こす』とおっしゃってくださっているではないか!私がここでイジイジしていてどうする!」と思ったのです。ジェイがこんな困難なことをわざわざ選び取ることを可能にした愛と憐れみに満ちた偉大なる神と同じお方が、私の神ではないか!そう思ったのです。
 ジェイが立ち向かっているものに比べたら、私の試練などちっぽけだ、大したことないと思ったのではなく、私の試練は私にとっては充分厳しいものだけれど、主ご自身が共におられるのだから、自分で憐れんでいないで神の憐れみにすがろうではないか、そう思ったのです。そう思ったら、祈ることへの大胆な希望も与えられました。

 「主の憐れみにすがる、大祭司として、どこまでも、徹底的に、僕たちの心や感情の底の底までを理解して下さる方に希望を置くことでしか、本来は希望を見出せない
 ああ、本当にその通りです! 思いやりに満ちた、偉大なる大祭司であるイエス様が、私たちのためにとりなし、助けてくださいます!

 この最近特に、いろいろな方から、それぞれの個人的な祈りのリクエストをいただいています。互いに祈り合えることの恵みを噛み締めています。皆さんのためにも、恵みの御座に大胆に近づいて、祈っています。

 主の御名のご栄光が、全地に輝き渡りますように! Yes, Jesus Saves! He is mighty to save!

ホーム日記ミルトスの木かげで(最新)