ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

アン・ライスの件、続き

 昨日の続きです。
 アン・ライスとは、吸血鬼やミイラ、魔女などをテーマにしたホラー小説やファンタジー小説で有名なアメリカのベストセラー作家で、彼女の作品は多数日本語にも翻訳されているようです。

 彼女はもともとカトリックの家に生まれ育ちましたが、18歳のときにカトリック教会を去りました。そしてホラー/ファンタジー作家として長年活躍していましたが、1998年糖尿病性の昏睡状態になったことをきっかけにカトリックに戻りました(57歳)。そして、信仰をおおやけにし、イエス様の生涯を描く小説も書き始めました("Christ the Lord: Out of Egypt"など)。さらに、Called Out of Darkness: A Spiritual Confessionという自叙伝も書いています。
 その彼女が、この7月下旬、Facebook上で突然、「クリスチャンをやめます」という宣言をしたのです。

Today I quit being a Christian. I'm out. I remain committed to Christ as always but not to being “Christian” or to being part of Christianity. It's simply impossible for me to “belong” to this quarrelsome, hostile, disputatious, and deservedly infamous group. For ten years, I've tried. I've failed. I'm an outsider. My conscience will allow nothing else.

 「クリスチャン」や「キリスト教」とかかわることはやめるけれど、キリストに対するコミットメントは変わらない、と言い、要するに、信仰を捨てるのでなく、キリストに対する信仰があればこそ、「クリスチャン」と呼ばれる、すぐに喧嘩をし、対立的で、議論好きな人たちのグループにこれ以上「属す」ことはできない、それは自分の良心が許さない、みたいなことのようです。

 彼女はさらにこうも言っています。
 

“As I said below, I quit being a Christian. I'm out. In the name of Christ, I refuse to be anti-gay. I refuse to be anti-feminist. I refuse to be anti-artificial birth control. I refuse to be anti-Democrat. I refuse to be anti-secular humanism. I refuse to be anti-science. I refuse to be anti-life. In the name of Christ, I quit Christianity and being Christian. Amen.”
 私はクリスチャンであることをやめます。抜けます。キリストの御名によって、私は反同性愛、反フェミニスト、反人工避妊、反民主党、反世俗ヒューマニズム、反科学、反いのちであることを拒否します。キリストの御名によって、私はキリスト教とクリスチャンであることをやめます。

"My faith in Christ is central to my life. My conversion from a pessimistic atheist lost in a world I didn't understand, to an optimistic believer in a universe created and sustained by a loving God is crucial to me. But following Christ does not mean following His followers. Christ is infinitely more important than Christianity and always will be, no matter what Christianity is, has been, or might become."
 キリストへの信仰は、私の人生の中核となるものです。わけのわからない世の中で迷い子になっていた悲観的な無神論者から、愛に満ちた神によって創造され維持されている宇宙に生きる、楽観的な信者へと回心したしたことは、私にとって非常に重要なことです。しかし、キリストに従うとは、キリストに従う人たちに従うことを意味するものではありません。キリストこそ、キリスト教よりもはるかに重要なものです。キリスト教が何であれ、これまでどのようなもので、今後どのようになっていくとしても、キリストがキリスト教よりも大切であることは何があっても変わりません。

"My commitment to Christ remains at the heart and center of my life. Transformation in Him is radical and ongoing. That I feel now that I am called to be an outsider for Him, to step away from the words, "Christian" and "Christianity" is something that my conscience demands of me. I feel that my faith in Him demands this of me. I know of no other way to express how I must remove myself from those things which seek to separate me from Him."
 キリストへのコミットメントが、私の人生の中核であり私にとって何より大切なものであることは変わりません。キリストにある変容は根底からのものであり、それは続いていきます。私は今、キリストのゆえにアウトサイダーとなり、「クリスチャン」や「キリスト教」という言葉から離れるように召されていると感じています。それは、私の良心から出てくるものです。キリストへの信仰が、私にそれを要求していると感じます。キリストから私を引き離そうとするものから自分自身を切り離すためには、私にはこうする以外ないのです。

 (ちなみに、彼女はカトリックでしたが、プロテスタントの知り合いも大勢いて、彼女がここで言っている「キリスト教・クリスチャン」とは、カトリックだけを指すのでなく、プロテスタントも含めた、キリスト教・クリスチャン全体だと、インタビューの中で言っています。)

 それに対する、ブライアン・マクラレンのコメント。

 この件に関する、私の教会の牧師のブログ記事。

 思うところはいろいろありますが、皆さんはアン・ライスの決心と表明を、どう思われますか?



追記:メモ。2010年8月16日付のバーナグループの記事。

それから、これもメモしておく。

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