ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

夏ももうすぐ終わり…

 今年の夏は、特にこれといったこともしなかったが、そのわりにはあっと言う間に過ぎていった。
 もともと大きな家族旅行などは計画していなかったのだが、5月にいろいろあったので、結果的にはちょうどいいペースだった。これもすべてをご存知の神様のおはからいだろう。
 この2〜3週間くらいで、ようやく状況が落ち着いてきた。そう思って振り返ると、この夏の前半はいかにしんどかったかがよく分かる。その中でいろいろな方たちがお祈りしてくださっていたし、神様はいろんなところに慰めや励ましを用意してくださった。(お祈りしてくださっていた皆さん、どうもありがとうございます!)

 主に信頼するということは、口で言うほどたやすいことではなく、信頼しているつもりでも、絶えず不安にさいなまされていた。不安を感じる自分も受け入れ、丸ごと神様の前に持っていくしかなかった。私が執拗に手の中に握りしめているものを、まるで金槌で打ち叩いて「手を開きなさい」と言われているかのように感じることもあった。もちろん、私が大げさに反応しているだけで、実際の神様のやり方は、いつだってとてもジェントルなのだけれど。

 7月にJCFNの理事会に行ったとき、黒田先生に同行しておられた奥様(以下ミセス)と、ゆっくりお話をする機会に恵まれた。黒田家には5人の成人したお子さんたちがいる。(その一人は、私にとって約20年来の親友であるJCFN総主事のS姉。写真左端)

 この写真は、S姉の婚約式のためにご家族がハワイに集まったときのもの。(全員ではありませんが。)S姉がFacebookに載せているのを見て、あまりに素敵な写真なので「ちょうだい!」と言ってもらいました。(笑)
 私はこの写真を見て、何よりもミセスの笑顔に釘付けになった。箴言31:25「彼女は力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ」、まさにそれだ!と思った。
 ミセスといろいろお話しているときに、この写真を見て私がそう思ったことをお伝えし、それから「でも、ここに至るまでには、いろいろなことがおありだったのだと思いますが…」と申し上げた。ミセスは、大きくうなずきながら、ゆっくりと、優しく、「そうよ」とおっしゃられた。私はそれを聞いて涙があふれた。それ以上の説明はいらなかった。ただ、深く、深く、慰められ、励まされた。
 育児とは、親にとっては心痛むものが伴うものなのだ。それは、「成長」が、by definition、痛みを伴うものだからだろう。それが子どもにとって必要な成長痛だとわかっていても、子どもが痛むのを見て、共に痛みを感じない親はいないと思う。それに、子どもの痛みを見て共に痛みを感じるというのは、親にとっての成長痛なのかもしれない。
 もちろん、痛みばかりではなく、それを上回るようなたくさんの喜びもある。なにより、どんな痛みや試練の中にあろうとも、主の恵みは十分で、主のあわれみは朝ごとに新しい。
 この夏、私はそのひとかけらをもう一度体験した。

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