ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

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……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

ゲノムと聖書 書評

 JEA(日本福音同盟)の発行するJEAニュース No.37(2010年8月発行)の「神学委員会通信」という欄に、聖契神学校校長の関野祐二先生が『ゲノムと聖書』の書評を寄稿してくださいました。

 執筆者の関野先生と、JEAの総主事であられる具志堅先生から転載許可をいただいたので、以下にご紹介させていただきます。関野先生、具志堅先生、ありがとうございます!

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 フランシス・コリンズ著「ゲノムと聖書 科学者、〈神〉について考える」,NTT出版,2008年(Francis S. Collins, THE LANGUAGE OF GOD A Scientist Presents Evidence for Belief, Free Press, 2006)書評
 JEA神学委員 関野祐二

 JEAに属する福音派諸氏は、本書を読み進める中、いわゆる有神論的進化論(筆者は本書199頁で「バイオロゴス」との呼び名を提唱)が登場するくだりでアレルギー反応を起こし、パタンと本書を閉じてしまうかもしれない。だが、進化論に対する意見や立場の相違はひとまず脇へ置き、米国でベストセラーとなった本書を最後まで読み通してほしいと願うのが、評者の率直な思いである。それは、本書が世界トップレベルの科学者・医師&福音的キリスト者による、科学の専門分野を活かした誠実な証しの書であり(原題は「神の言語」、すなわちDNAのこと)、「どうせ有神論的進化論者だから」と安易に切り捨てる高飛車な(?)態度を許さないほど、抑制の効いた筆致と論理的な説得力を持って書かれているからだ。分子生物学の学位を持つ神学者アリスターマクグラスが本書に「科学と信仰について考えたい人には必読の書だ」と賛辞を惜しまない(284頁)のも至極うなずける。訳者の中村昇氏は大気海洋学博士、中村佐知氏は「ヤベツの祈り」「ヴァインの祝福」(いのちのことば社)などの翻訳でも知られる心理学博士/翻訳家で、ご夫妻とも米国の福音派教会に属している。

 著者フランシス・コリンズは、2008年8月まで米国国立ヒトゲノム研究所所長を務め、国際ヒトゲノム計画のリーダーとしてヒトゲノム(人間のDNA)の全塩基配列を解析した画期的成果で知られる、現役の科学者だ。本書は、無神論唯物主義者だった彼が医学生時代、C・S・ルイスの助けを借りつつ信仰に導かれるまでの魂の遍歴記録から始まる。一般読者を想定し、信仰を持つ上で障害となりがちな神探求の正当性、宗教の名のもとになされた害悪、神の愛と苦難、奇跡の問題にひとつひとつ答えた後、著者は人間存在を考える足がかりとして、天体物理学と生命科学を例に挙げ、最先端の知見と神学との調和を模索する。そして、現時点で説明できないことを安易に「神のわざ」と断定する「隙間(ギャップ)の神」という考え方の是正を求める(91頁)。著者の携わってきたゲノム解析についての解説はかなり専門的だが、最先端の遺伝子研究成果がダーウィンの進化論を強力に実証している様を明らかにし、現代の遺伝子研究がこの枠組みを前提としていることを示す。また、なぜ進化論が米国の市民レベルで一般に受け入れられていないのかを分析し、創世記1章2章を科学の教科書と受け取る、極端に字義的な読み方への異議を唱える。

 次に著者は、無神論的科学の代表者として遺伝子学者リチャード・ドーキンスを例に挙げ、マクグラスの著書「ドーキンスの神」を援用しながらその不適切性を暴き、他方正反対の立場である若い地球の創造論インテリジェント・デザイン理論を、科学理論としては不十分であるとして、科学者の立場から反証する。その上で、科学と信仰が調和する有神論的進化論、著者の造語ではバイオロゴスを提唱するのだ。最終章で著者は第1章の証しに戻り、神存在とそのご性質、信仰の正当性をひとつひとつ論証しながら、自らが出会った真の神がキリスト教の神であり、キリスト教こそ永遠の真理であると証言する。そして、科学は神礼拝の一形態であり、科学と信仰は互いに相補いながら神を指し示すとして、控え目ながらも読者に信仰の決断を迫るのだ。

 本書の背景には、訳者もあとがきで略述するように、米国で今だ続いている、キリスト教原理主義無神論的進化論の熾烈な勢力争いがある。穏健で福音的なキリスト者の多くはその狭間で苦悩し、選択肢のないまま立ち位置を決めかねているゆえ、進化論の是非はともかくとしても、科学的成果と神信仰を矛盾なく両立させるひとつの道を示した本書の出版がいかに歓迎されたか、理解できる。日本の福音的教会の状況はそこまで尖鋭化されていないが、特に科学的思考を好む若年層キリスト者が、科学的方法論や知見と福音的信仰とをどのように両立させ、折り合いをつけているのか、正面から調査検討して本音を聞き出す必要性を喚起させられよう。

 真理に対するオープンさと、異なった意見にも先入観を持たずに耳を傾けて真理を聞き分ける態度は、原理主義的偏狭さを克服するため福音派が身につけなければならない姿勢である(拙稿「原理主義的傾向を克服するために」,月刊JEAニュース(ネット版)21号,2006年9月参照)。どこまでが福音派でどこからがそうでないかと境界線を定める旧式の排他主義をそろそろ卒業し、聖書観を含む基本的信仰箇条の共有を確認した上でそれ以外の多様性を許容する中心点強調思考に切り替えたい。本書の著者コリンズは、進化論が創造のプロセスにおいて神の用いた方法であると確信している。多くの福音派諸氏はこれに懐疑的であろう。果たして、最先端を走る科学者コリンズに対し、科学的方法論に則った内容ある真摯な反論を提出できるか、私たちが問われているのではないか。頭から著者を批判して福音派から締め出そうとしたり、最初から取り合わないような不誠実を犯すことのなきよう、反論のための反論を克服した穏健かつ建設的な議論と学習を求められている。これは、主とみことばを愛するとともに、DNA研究を含め生活の隅々まで科学の恩恵に浴しているキリスト者に課せられた務めであろう。

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