ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

メモ:内田樹氏のブログより

 しばらく前に鎌野直人先生に勧めていただき、内田樹氏の『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』という本を読んでいる。とても興味深い。

 内田氏はクリスチャンではないらしいが、レヴィナスの研究者であられるそうで、そのお話にも聖書的価値観に近い?と感じさせられるところがあちこちにある。コミュニティーに属することや師弟関係を重視するところとか…
 最近の氏のブログ記事にも「アブラハムと顔の経験」という記事があり、目が留った。なので、メモ。

信仰においても、学びにおいても、それを起動させる「最初の一撃」は同じものである。
それは「このメッセージは私宛てである」という確信である。
「聴け、イスラエルよ」(シェマア・イスラエル)から預言者の言葉は始まる。
ここでいう「イスラエル」はその言葉が発される前から存在している民族集団の名ではない。
その預言者の叫びを「私宛ての言葉だ」と思いなしたもの、それが「イスラエル」なのである。
私とは「『私宛て』のメッセージを聴き取ったもの」である。
…(中略)…
私たちが「これは私宛てのメッセージだ」という確信を持つ根拠は実は一つしかないのである。
それは「受信者の知性に対する敬意」である。
驚くべきことだが、今の文脈で言うならば、それは「主の、彼の被造物である人間に対する敬意」なのである。

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