ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

折り紙の折り跡

 今朝、車を運転しながらぼんやり考えていた。
 先日も書いたように、ケンが折り紙に凝っていて、しかもやたらと複雑なのに凝っていて、こんなの折れるの?というようなものでも、YouTubeでチュートリアルを見たり、説明のpdfをダウンロードしたりして、いろいろチャレンジしている。
 中でもやっぱり最近のヒットは、先日の折り紙ヨーダ。(こちら)このページからダウンロードできる折り方の説明は7ページにも及ぶ。ケンが随分時間をかけて折っているから、どれくらいできたのかなと思って覗き込んでみると、なんと彼の前にあるのは、しわくちゃになって広げられた折り紙。ぜんぜんできてないじゃない! と思いきや…
 7ページに及ぶ折り方の最初の3ページは、折っては広げ、折っては広げを繰り返し、ひたすら紙に折り跡をつける作業の繰り返しなのだ。鶴を折ったことのある人なら誰でも知っているように、折り紙では、この「折り跡をつける」という作業がとっても大切。折っている最中は、何のためにここをこんな風に折って、しかも結局また広げるのか?と、自分のやっている意味がよくわからなかったりするけれど、折り進むうちに、先ほどつけた折り跡があるおかげで、次の段階がスムーズにきれいに折れるのだと気づく。先人の知恵に舌を巻く。
 1時間ほど時間をかけて、折り方説明の3ページ分をひたすら折って、ようやく到達したのが折り跡だらけの一枚の紙っきれ。折り始める前のまっさらな折り紙と比べると、よれよれでみすぼらしくさえ見える。でも、ここには次のステップに進むために必要なものが詰まっているのだ。
 人生も似たようなものなのかもしれない。いろいろなことを学び、経験を積み、前進してきたはずなのに、ふと気づくと、まるで振り出しに戻ってしまったかのように感じるときがある。「ぜんぜんできてないじゃない!」「何も形になってないじゃない!」そう感じて、ショックを受けるときがある。でもそうじゃない。振り出しに戻ったかのように見えても、今ここにいる私には、次のステップに進むために必要な、たくさんの「折り跡」がついている。失敗した跡ではなく、神の似姿へと完成されようとしている私に必要な「折り跡」。それは、人生の「折り紙マスター」である神様の御手によって、確信をもってつけられた跡。神様のつける折り跡に、一つも無駄はない。

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