ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

友人のブログより

 敬愛する主にある友、じゅんぽろちゃんが、6月11日付けの彼女のブログで、次のようなことを書いておられた。

精神科医であり、日本のホスピス運営の先駆者である柏木哲夫先生の「人生の実力」という本に、こういうくだりがある。

『物事が順調に進んでいる時には、その人の本当の力は見えにくい。辛い、悲しい、苦しい、やるせない状況、すなわち自分にとって不都合な状況になった時、どのような態度で与えられた状況に対処できるかで、その人の「人生の実力」が決まる。苦況の中にも、生きている証を見ることができ、その状況を幸せと思えるかどうかで、人間の実力が決まる。』(「人生の実力」p34-35より引用)

 では、人生の実力をどのように身につけるのか。じゅんぽろちゃんは、「その実力をつける訓練は、1人で成すものではなく、イエスさまと、周りの人たちの助けがあって、できるものだと確信している」と言う。

神さまは、今の時代もあっと驚くような奇跡で私たちを助けることも大いにあるが、人を通して、私たちの理性で理解できる方法で、助けてくださることの方が多いようにも思う。

本当にしんどく、正気じゃ無くなりそうな時には、信仰的な助言はもちろんだが、人間的な励まし、物質的な励ましが、どれほど助けになることか。

短い文章であっても私を覚えて祈ってくれていることを伝えるメール、電話、手紙、ただ顔を見に来てくれたり、お花やおいしい物を届けてくれる家族や友人や教会の人達…、それがどれほど、私の心を慰め、強くしてくれることか。

 アーメン。本当に同感。 そして、さらに続けてこうも言っておられる。

人の助けを受けるのも、謙遜にならなければできない、とつくづく思う。

自分が弱い者であり、援助を受けることが必要な者であると認めるには、プライドが砕かれなくてはいけない。

自分で何とかできるから大丈夫です、と言い続けるのは、とても傲慢になっている場合がある。

目に見える人の助けを受けることができずに、目に見えない神の助けは受けられない、と思わされている。

こうして神と周りの人達からの助け、慰め、励ましを受けながら、「自分にとって不都合な状況」に何とか対処していくことで、冒頭に引用した『人生の実力』が養われていくのだろう、と思う。

そして、現在の「自分にとって不都合な状況」を通り過ぎたら、今度は不都合な状況の中で苦しむ周りの人たちを支えていく側に回れたらと思う。

 
 じゅんちゃん、大切なことをシェアしてくれて、そしてここで紹介させていただくことを許可してくださってありがとう。そして、いつも祈っていてくれてありがとう。私もじゅんちゃんのために祈っています。Love you so much.

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