ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

ウォルトン博士のセミナー

 2年前、ウィートン大学の旧約学の教授、ジョン・ウォルトン博士による「The Lost World of Genesis One」という本を紹介した。

 その名の通り、創世記1章における創造の記録の解釈に関する本。聖書を原語に忠実に読むとは、ただ字面だけを追って文字どおりに解釈するということではなく、当時の読者(古代近東に生活するイスラエル人)の世界観を踏まえた上で、著者の意図を解釈するのが正しい創世記1章の読み方であるはずだと言う。
 現代の私たちは創世記1章を、物質世界の起源を記述しているものとして解釈しがちだが、ウォルトン博士は、他の古代近東の文献からもわかるように、当時の読者は物質世界の起源には関心がなかったことを指摘し、創世記1章は、神の手によって作られた宇宙・世界の、「機能的」起源について記述するものだと説く。そして、この宇宙全体は神が住まわれる「宮」であるとし、6日間の創造の後に続く7日めの休息日は、この宇宙的規模の宮の、inauguration(開始、落成)なのだと言う。
 神が「創造主」であると言うとき、物理的に創造なさったお方であるのも確かにその通りだろうが、それ以上に、この宇宙に機能と秩序と目的をお与えになった方という意味での「創造主」のほうが、はるかに意義のあるコンセプトかもしれない。この壮大な解釈を考えると、創世記1章の「一日」を文字どおり二四時間の一日と考え、三日目に植物が作られたとか、四日目に太陽が作られたとかのレベルでしか考えないのは、あまりにも小さいような気がしてくる。

 ともあれ、このウォルトン博士が、10月15日(土)にうちの教会で、この本を題材に、朝8時から午後3時半までの集中セミナーを持ってくださるのだそうだ。
 このセミナーを企画したのは、うちの教会の若手牧師。彼は今年の春、科学と信仰に関するメッセージをしたのだが、その中で、聖書を神の言葉だと信じるクリスチャンが進化論を受け入れても大丈夫、ということに言及したところ、一部の教会員から大ブーイングだったらしい。
 そのフォローアップという意図があるのかないのか分からないが、いずれにしても、賢明な企画だなぁと思った。聖書を信じるクリスチャンには進化論は受け入れられないと思っている人にとっては、いくら科学の側から、「これが正しいのです」と言われても、納得いかないだろう。彼らにとって気になるのは、進化論の科学的妥当性ではなく、神学的な妥当性だろうから。
 ウォルトン博士のような聖書解釈は、創世記1章の六日間の創造を文字どおり二四時間×六日とは考えないので、進化論を受け入れる余地を残している。もっとも、本当のところ、私にとって進化論を受け入れるかどうかは、そんなに重要ではないのだけれど。私はただ、神様が聖書と被造物を通して私たちに伝えようとしておられることを追求したいだけ。神様が、創世記1章で本当に文字どおり6日間の創造について私たちに語ろうとしておられるならば、それを受け入れる。でも、神様の本当の意図は別のところにあるのならば、表面的な字義通りの解釈にこだわることで、それを見逃したくない。
 ウォルトン博士のセミナー、行ってきたら、またレポートします!

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