ブログのタイトルを変える
これまで長い間、「はちことぼぼるの日記」として続けてきたこのブログですが、このたび、タイトルを変更することにしました。新タイトルは、「ミルトスの木かげで」です。
そもそも、なぜ「はちことぼぼるの日記」だったかと言うと、私にしゃれたタイトルをつけるセンスがなくて、最初はそのまんま、「はちこの日記」でした。途中でぼぼるパパも交代で書くようになった時期があり、そのときに「はちことぼぼるの日記」とし、その後、彼はすっかり書かなくなってしまいましたが、そのままずっとこのタイトルで来ていました。
しかしながら、この夏、こんなことが。日本に帰っているとき、ある先生から私のブログのことを尋ねられたのです。でも、「私のブログのタイトルは、『はちことぼぼるの日記』です」と口に出していうのは、なんだか気恥ずかしくてはばかられました。それで、紙に書いてお渡しし、「これで検索するとすぐに出てくると思います」と申し上げると、先生は、このブログタイトルをご覧になり、「これは一体なんですか?」とおっしゃられた。(笑)
あいやー、やっぱり変なタイトルだよねと、笑ってごまかすしかなかった私。しかもその後、別の日にNさんのお宅で食事をごちそうになっているとき、そこでも同様のやりとりが。私のブログの話題が出て、Nさんのお嬢さんが、「なんていうブログ?」と尋ねると、Nさんは、「だめ、はずかしくて言えない」と。(爆)
この恥ずかしさの原因はなんだろう?と考えたとき、「はちこ」とか「ぼぼる」というニックネームがそもそもなんだか変だし、加えて「〜の日記」というのが、なんというか、いかにもプライベートなものを公開しています、みたいな感じで、それがいけなかったかな?とか。
それで、これはもう、タイトルを変えるしかないなと心に決めたのでした。(笑)
しかし、では何というタイトルに変えたらいいのか?
この8月から、いのちのことば社さんが出しておられる雑誌、「いのちのことば」誌に、連載エッセイを書くことになったのですが、そのとき、タイトルを求められ、非常に困りました。ウンウン唸って考えた結果、突然ひらめいたのが、「ミルトスの木かげで」というものでした。
これは、昨年の暮れに与えられた御言葉で、このブログのトップにも掲載している、イザヤ書55章12、13節からインスピレーションを得たものです。そして、この御言葉が与えられた背景は、昨年のクリスマスの記事に書いた通り。このとき語られたこと、教えられたことを、私は一生心に刻みたいと思いました。「ミルトス」は、私を取り囲む状況がどんなに揺らぎ、脅かされようとも、どんなに私には理解ができなくとも、主の善い御心、万能の御手がすべてを支え、主の平安が私を導いておられるという「主の記念」であり、「絶えることのない永遠のしるし」。そして、「ミルトスの木かげ」にいますと言うことは、私にとって、そのことを告白するものであり、私はもはや、主の善い御心、万能の御手の業を、疑いません、心を揺らがせません、という決意の象徴。
これは、連載だけでなく、このブログのタイトルにしてもいいのでは? というか、ブログのタイトルにこそ、ふさわしいのでは?と思い至ったのであります。そして、今日、ようやく重い腰を持ち上げて、タイトル変更に踏み切りました。
以後、このブログは「ミルトスの木かげで」というタイトルでいきますので、どうぞよろしくお願いいたします。