ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

友人の証

 先日、『The King Jesus Gospel』について書いたあと、長年このブログを読んでくださっているお友だちから、彼女が行っている教会についてメールをいただきました。いわゆる「成長している教会」とは見た目は違うかもしれない、それでもまぎれもなく尊い働きをされているこの教会のお話に励まされたので、ここでもお分ちさせていただきたいと思いました。そこで、固有名詞などは伏せて、改めてまとめていただきましたので、そのお証をご紹介します。(○○さん、どうもありがとう!!)

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私は、日本の、ある都市の近郊に暮らす一婦人です。特別なものは何もありません。幼い頃から、教会には遊びに行っていましたが、教会は、それ以上のものでは、ありませんでした。けれど、結婚後、いろいろな思いの中で、神様を真剣に求め、聖霊様に触れられ、洗礼を受け、熱心に教会に通う者になりました。

どうすれば、良いクリスチャンになれるのかな? 熱心に伝道をしなくちゃね、との思いがあり、受洗した教会から、さらに、活気のある教会に移り、そこでも、熱心に奉仕もしていました。教会はさらに成長し、さらに、たくさんの人が訪れるようになりました。恵みに満ちた神様を讃える礼拝は、長く続き、もっと、効率的に、もっと人を集めるためにどうしたら良いのか、おおきな会堂を建てよう、もっともっと所有しよう、もっともっと、捧げよう、そのためには、信徒は痛みに耐えよう、 神様は教会が大きくなるためには、多少の事は目をつぶられる、、、、あれ? イエスさまって、そんな方だったっけ、、、、。 多くの人に福音を伝えることは、もちろん、大切な使命です。けれども、イエス様はご自分の家ももたれず、町外れでたとえ話をされた方。生まれた場所は家畜小屋だった筈。1匹の羊のために、99匹を待たされる方。

その疑問に答えるため、あまり、誉められた事でないのは、承知の上で、また、教会を移りました。今度は、とても小さな教会です。でも、ここに、自分にはできないけれど、すごいことをしている姉妹達がいたからです。姉妹達は、神様から、言われたことをしてきただけ、と言っていましたが。
  
仮に、この教会を「子羊の家」といいますね。大きな教会の枝教会として、メインの教会とは、少し離れた場所で、姉妹達だけでやっていました。 実質的な指導者はいますが、本当に姉妹達が数人の小さな小さな礼拝所です。その子羊の家でこの10数年の間に、あった話をお分ちします。

この礼拝所が出来た時から来ていた、当時小3くらいのK君という男の子と、Zちゃん、という女の子がいました。

どちらも、いわゆる、崩壊家庭の子供で、まともには、育ててもらってない子達でした。
でも、子羊の家の姉妹達は、格闘しながら、彼らと関わり続け、その周りの大人から、よけいなことをするな、と怒鳴り込まれても、彼らが来る限り、拒まずに、教会を開けて、話し相手をして、イエス様を分かち合っていました。

当時、まともに、ひらがなもかけなければ、足し算もできなかった、Kくんは、公立高校に推薦で入り、(面接で、長所として、「自分は小学生の時から、毎週教会に通っています」と言ったそうです。)高校生の時からアルバイトしてきたお店に、正社員として、今も勤務しています。
今は、大人になって、あまり、礼拝の出席状況はよく有りませんが、それでも、たまに顔を見せに来ています。
彼の家族の中で、高校を卒業したのも、定職についているのも、彼だけだそうです。

Zちゃんも、高校を出てから、しばらく顔を見せていませんでしたが、先日、結婚をして、子羊の家の姉妹達に会いに来ました。
今は、少し遠くに住んでいるけれど、教会のことを1日も忘れていない、と話し、一番覚えているのは、「イエスさまって、いつも言っていたこと」と言っていたそうです。
お菓子でも、面白いイベントでもなく、イエス様、だったそうです。

今も、子羊の家には、たくさんではないですが、子供達が来ています。やはり、あまり、評判のよろしくないタイプの子供達です。
でも、彼らは、強いられてではなく、好きで来て、そして、少しずつですが、確実に変えられていっています。
その中には、怒鳴り込んできていた、あの、K君ファミリーの子供達、3人も入っています。界隈のボス的な、Kくんのお姉さんの子供達です。
当時、さんざん凄んでいましたが、『K君の実』を見て自分の子供達も通わせているようです。なんだか、クリスチャンの割合が多いファミリーになってるね、、とびっくりです。

大事なのは、何人信仰告白をさせたか、ということでもなく、どれだけ、メッセージに人を集めて、クリスチャンクラブに入会させたかでもない、まして、どんなに大きな箱を用意するかではない、ということをほんとうに確認できます。 

小さなこの群れの目的は、人数でも、教会成長でもなく、神様が送ってくれた子供達の世話をすること、子供達とともに、自分たちも弟子として成長すること。小さくて、大きな、神様の福音の導きが、確かにあるのを見せてもらっています。 

これからも、へりくだって、間違いは直しながら、子供達とともに、イエス様にお委ねしていきたいと思います。

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