ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

無題

 もう8月になっていました。ブログの更新がすっかり滞っていてすみません。いつも読みに来てくださっている皆様には心から感謝いたします。

 なんというか、まぁ、いろんなことがあるのですが、不調ではありません。いわゆる「イケイケ」な感じで絶好調!というわけではないのですが、静かに、しずか〜に、いろいろと練られています。年初めに、今年は「鍛!」の年に、と書きましたが、まさにそんな感じです。そのプロセスは決して楽しくはないのですが、鍛えられているのがわかるし、その先に待っているのは「平安な義の実」だと思うと、とても楽しみです。

 今日はちょっと、思い出したあることを書き留めておきます。これは10年くらい前のことで、絶対当時、日記に書いたはずだと思うのですが、見つからなかったので、もう一度書き留めます。

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 あれは私たちがイギリスに住んでいたころ、春休みに家族でパリを旅行していたときのことでした。パリの電車に揺られて移動している最中、エミか、あるいはもしかしたらま〜やだったかもしれないのですが、とにかく娘の一人が、電車の中で何か恐いものを目撃したのです。
 「ママ! ママ! ママ!」 切迫した声で私を呼ぶので、振り返ると、エミ(にしておきます)が恐怖に満ちた目で何かをじっと見ていました。
 私は、「なあに? どうしたの?」と返事したのですが、エミの注意は自分が見ているものに100%向けられており、私を呼んでいるくせに、私の声など耳に入っていません。
 「ママ! ママ! ママ!」
 「どうしたの? ママはここにいるよ?」
 怯えて助けを求めているのに、助けてくれるはずの人に手を伸ばせずいる娘をみて、やれやれ、と思いました。と、そのときです。主が私の心に語られました。

 「はちこも時々、こんなふうになってしまうことがあるよ。わたしの名を呼びながらも、自分が見ている恐ろしいものから目を離せなくなって、わたしの声が耳に入らなくなってしまうのだ」
 「えっ、そうですか? 私もやってますか?」
 「やってるねぇ。はちこだったらこんなとき、子どもにどうしてほしいと思う?」
 「そうですね… とにかく、自分が目を奪われているものから目を離して、私のほうを見てほしいです。そうすれば、自分がどれだけ私の近くにいて、安全であるかがわかるでしょうから。自分が見ている恐ろしいものよりも、お母さんのほうがずっと近くにいて、手を伸ばしさえすれば、すぐにお母さんの腕の中に飛び込めることがわかるでしょうから。とにかく恐いものから目を離して、私を見てほしいです」
 「そうだね。そのことを、はちこもよく覚えておきなさい」

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 なぜこんなことを思い出したかと言うと、今日の祈りの中で、神様が私に「このときのことを覚えているかい?」と思い出させてくださったからです。数日前にちょっとあることが起こって、私は神様の御名を呼びつつも問題に目が釘付けになってしまい、神様の中に憩うことができなくなっていたのでした。

 この数日、気持ちがかなり揺れていましたが、今は平安の中にいます。
 もう一つ、おとといの晩の昨日の朝は、出エジプト4章24−26節から語られました。(神様がモーセを殺そうとしたときのこと。)
 さらに、これとか、これとかも思い出させてくださいました。

 とにかく、あれやこれやで、私から神様への愛の捧げものとして、「信頼」を捧げたい、そんなことを思わされています。

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