ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

MEMO: 宣教は神のものである

 先日、「スペース作り」という記事で、霊的修練に関することを書いた。その中で、土台となる霊的修練の一つに「ミッション」が挙げられていて、私もあまりピンと来なかったのだけれど、かきごおり先生も、やはりこれがピンと来ないという旨のことをフェイスブックに書いておられた。「ミッション(使命・宣教)」と聞くと、どうしても「私」がやること、「私」の働き、「私」の使命、みたいなイメージで、それがどう神様に働いていただくためのスペース作りになるのか、今ひとつわかりにくかった。

 そうしたら、先ほど、クリストファー・ライトの「神の宣教」を読んでいたとき、2章で「宣教(ミッション)」の定義に言及されていて、そこにこうあった。
 

……この釈然としない考えは、私たちがほとんど無意識のうちに、宣教は第一義的には、基本的に私たちがすること、人間が担うべき教会的な使命である、と考えているところに起因するのであろう。この傾向は、私たちが宣教という言葉を、限定的にも一般的にも、伝道という言葉の同義ととして使う縮小主義的な習慣に陥っているときに、特に顕著である。……
 「聖書の宣教的土台」を適切に語るためには、私たちが持つ宣教のパラダイムを変革しなければならない。……
 ……宣教は私たちのものではない。宣教は神のものである。……宣教が教会のために作られたのではない。教会が宣教のため、神の宣教のために作られたのである。」(64.65ページ)

 ははぁ。ミッションとは、もともと神様のものだから、私たちがそこに参画させていただくことで神に出会い、だからこそ、それによって私たちの内で神様に働いていただくためのスペースを作ることになるのかな。なんとなく分かってきたような… ミッション(宣教・使命)とは、私たちのworks(働き、わざ)ではないのですね。

 それから、ちょっと別件なんだけど、これもメモ。同じく「神の宣教」から。

Our future is the future promised by God to Abraham, achieved by Jesus and to be enjoyed by the whole of redeemed humanity from every nation, tribe, people and language (Rev 7:9-10). Our lives also then are to be shaped by the gratitude that looks back to what God has promised and the mission that looks forward to what God will accomplish.
私たちの将来は、神がアブラハムに約束した将来であり、イエスがすべての国、種族、民族、言語に属する人(黙示録7:9−10)からなるすべてのあがなわれた人々のために完成してくださった将来である。私たちの将来は神が、約束してくださったことを振り返ってみることによる感謝と、これから神が成し遂げてくださることを仰ぎ見る宣教の使命によって形づくられるのである。(『神の宣教』59ページ)

神の宣教 第1巻~聖書の壮大な物語を読み解く~ (東京ミッション研究所選書シリーズ)

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