ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

お風呂deがっくり

 本日も5時前に起床(というか、実は私は夕べ夜8時半ごろに起きてしまった後、結局朝まで眠れなかった…)。
 今朝はシャワーではなくお風呂に入るぞ!と心に決めていた私は、朝から喜々として浴槽にお湯をためていた。そろそろかな、という頃になってま〜やが起きてきて、お風呂に入りたいというので、日本のお風呂はバスタブの中で石鹸使っちゃだめよ、などの指示をして、彼女を先に入らせた。
 彼女が出たあと、さあ今度は私の番だぞと、裸になってお風呂に入ろうとして浴槽を覗きこむと、なんと空っぽ! お湯がない! ま〜やが出る時、アメリカでのように栓を抜いてしまったらしい。やられたー!何のために、お湯を汚さないようにねと指示したのだか。でも、栓を抜かないようにとは言わなかった私がいけなかった。そんなわけで、すごすごと服を再び来て、お湯がたまるまでもう一度待ったのでありました。

 今日は3年ぶりに母教会を訪れ、そこでのことも書きたいのだけれど、さすがに今は眠くなってきて頭がまわっていないので、また後ほど。

昨日のこと

 (夕べは夜6時に就寝、今朝は午前3時過ぎに起床。子供たちはもっと普通のスケジュールで寝ているが。やっぱり子供の方が適応力が高いのかな。)

 昨日は3年ぶりの母教会。住宅街の一角にある小さな教会だけど、そこで捧げられている礼拝は熱い。会堂に入った瞬間、人数の少ないことに驚いたものの、すぐに主の御臨在を感じ、賛美の中で主の大庭に入って行くのがよくわかった。30分以上ゆっくりと時間をとって、主に賛美と祈りを捧げる。この教会では「賛美リーダー」ではなく、「賛美アシスト」と言っているが、確かに賛美をリードしておられるのは聖霊御自身であることが実感できた。川の流れに乗っているような、自然さと自由さがあった。
 メッセージは、「私は衰え、あの方が栄えなければなりません」の箇所から、自己に死ぬことと、自分の野心ではなく神のビジョンに生きることが語られた。聖書には、「幻のない民は滅びる」とあるが、その幻を、自分の肉のうずきを満たす「野心」と取り違えることなく(そういった野心は、表面的には霊的に見えることもあるので要注意)、主との関係の中で主から与えられる主の幻(ビジョン)をしっかり見つめるように。
 この教会は、小さい分、余計なものがそぎ落とされて、本当に必要なもの、真実なものだけが残っている、そんな印象を私は受けた。子供たちは、普段自分たちがアメリカで行っている教会とは全く違うこの小さな群れに驚いたかもしれないが、この群れの中に確かに存在している、主の真実を感じてくれれば、と思った。
 礼拝の後は男女別に分かれてスモールグループでの分かち合い。それから有志が残って、昼食会。
 私はこの教会で30年前に救われた。私にとっては、本当に家族同然。数年に一度しか訪問できないけれど、いつも暖かく迎え入れてくれる。なつかしい話に花が咲いたり、日本とアメリカで場所は違えども、抱えている問題は似たりよったりで、互いに励ましあったり。
 実家がお向かい同士で、私の幼馴染でもあるNくん。彼は大学生の時に救われ、以来、ずっとこの教会で礼拝を守っている。同じ教会の私の親友でもあるA姉と結婚し、今は三児のパパ。彼は今、私たちが卒業した小学校のPTA会長をしている。「副会長は誰だと思う? Y田さんなんだよ!」というので驚いた。Y田さんは、以前この教会に来ていた兄弟で、学生時代は一緒にCS奉仕などをした仲間。もちろん今でも熱心に主に仕えておられる。Y田さんとNくん、互いに祈り合い、愛と配慮を示し合いながらPTAをまわしているらしい。最近、日本では保護者のあり方に驚かされることが多いが(子供の給食費を払わなかったり、学校に理不尽ないちゃもんをつけたり…)そういう世の風潮の中にあって、会長、副会長に御霊に満たされたクリスチャンが与えられているPTAって、すごいかも。二人の他者に仕える姿と、インテグリティのある姿が、まさに地の塩、世の光として用いられることを祈る。
 昼食の後、大人が積もる話に花を咲かせている間、子供たちは言葉も通じないままに楽しく一緒に遊んでいた。ケンは、小学校三年生の男の子のHくんとすっかり意気投合して、ケンは英語、Hくんは日本語でちゃんと意思の疎通を図っていた。カブトムシごっこ(?)で、Hくん「ほら、後ろにいるよ!」ケン「No, it's behind you!」と、ちゃんと話が通じ合っていたのに笑えた。一方みんやま〜やは、女の子たちとお絵かきで意思疎通。うちの娘たちも、日本の女の子たちも、アニメ風の漫画を描くのが好きで、お互いに描いた絵を見せ合いながら、無言で親交を深めていた。その女の子たちは、普段は教会に来ているわけではない近所の子たちで、子供の集会がある時だけ来ているらしい。昨日は、うちの子供やHくんたちが外でワイワイ遊んでいるのを見て、「何か面白そうなことをやっているぞ」と好奇心で出て来て一緒に遊び始めたのだった。彼女たちは、たっぷり遊んだ後、「楽しかった、また一緒に遊ぼうね」と言いながら帰って行った。
 アメリカでは何でもプログラム化された、確かに効率は良いのだけれど、一から十まで整った感じの働きが多い中、地域に根ざしたこういう小さな教会の存在には、なにか新鮮なものを感じた。思えば私自身、そういうところで育ったのだしね。もちろん、どちらが良いとか悪いとかの問題ではなく、それぞれに役割があり、それぞれに、そういう教会だからこそできる働きがあるのだと思うが。

 
 さて、今日は夕方から、ブログ友達のクレオパさんと鹿子さんと一緒に会食。とってもおしゃれなお店に連れて行ってくれるらしく、とても楽しみ。

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