ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

「贖いの時間」

 今夜のミッショネット(女の子対象の子供ミニストリーで、私は6〜8年生のクラスを担当している)は、思いがけない展開になった。今やっている単元は「選択」で、いつものようにレッスンを始めたのだが、ふと見るとカレン(仮名)が泣いている。びっくりして「どうしたの?」と聞くと、実は今日妹と喧嘩をしたら、私だけが悪かったわけじゃないのに、お母さんは私を一方的に責めて、そのことを急に思い出して悲しくなってしまったのと言う。正直な話、唐突だったのでどう対応したらいいのかわからなかったのだけれど、本人は吐き出したら気が楽になったようで、そのまままたレッスンを続けた。しばらくすると、今度はアネットが、どういう話の流れだったか忘れたが、やはりお母さんと喧嘩して、理不尽に叱られて悲しかったことを分かち合い始めた。そして彼女はさらに話を続け、自分にはお父さんが側にいなくてがとても悲しいこと、どこにいるのか最近は連絡もつかなくて、もうすぐ卒業式なのにきっと来てもらえないと思うと悲しいこと、お母さんも自分よりもボーイフレンドのことばかりで自分は大切にされていないようで悲しいこと、などなど、涙を流しながら次々と話し始めた。すると今度はブリアナが、アネットはそれでも時々はお父さんと連絡が取れるからまだいいけど、私などお父さんに会ったことがなく、きっとこれからも会うことがないと思うなど、彼女の悲しさをいろいろ分かち合い出した。レッスンからはすっかりはずれてしまったけれど、この時間はものすごく大切だと感じたので、私は彼女たちにできるだけ好きなだけ話させ、好きなだけ泣かせてあげた。みんなの話に耳を傾けつつ、適宜私とベッツィーも話をした。私は、私自身父親が不在の家庭でずっと育ったこと、それで寂しい思いをした事もあったこと、だけど神様は私がこの地上での生活で持てなかったものを補って余りあるお方であり、父との関係もずっと後になってから神様が不思議な機会を与えてくださり回復してくださったことなどを分かち合うことができた。

 人は皆、ーー大人だけでなく子供でさえもーーいろんな重荷や葛藤を抱えつつ生活している。でも、日常生活の中で機能していくためには、心の中の葛藤や痛みをしまい込まざるを得ないことがある。しかししまい込んだままでどこにもそれを出す場所がなければ、やがてそのような思いは、どこかで破壊的なパワーをもって噴出したり、あるいは形を変えて別の場所に現れ、私たちの生活に悪い影響を与えたりする。だから私たちは、どこかに自分の感情や葛藤や重荷を、正直に表現できる安全な場所が必要だ。この女の子たちにとって、ミッショネットのこのクラスがそのような場になってくれれば、と切実に思った。1時間半があっという間に過ぎ、アネットは最後の方で、普段はこういう個人的なことは恐くて話せないんだけど、今日は不思議と自然に話せたの、と言っていた。カレンも「I needed this tonight」と清々しい笑顔を見せてくれた。

 『スモールグループから始めよう』のなかでは、日常生活から一歩退いたところで、自分の感情や葛藤などを正直に表現し、光の中に差し出すことで神と他者からの愛に触れてもらえる時間のことを「贖いの時間」と呼んでいるが、今夜のミッショネットのクラスは、まさにそんな時間だったのだなと思った。こういう時、先日も話したような「霊的にふるまう」ことをすれば、彼女たちは恐らく口と心を閉ざしてしまっていただろうと思う。大切なのは、うわべをなぞるような形で慰めの言葉をかけたり、御言葉を彼女たちの喉元につきつけて無理矢理飲み込ませることではなく、御言葉を通して神様が示しておられる愛と真理を、グループのみんなで体現してあげることではないだろうか。聖霊が私たちのただ中におられ、一人ひとりの心を溶かして下さっているのを感じた暖かい夜だった。

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