ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

「もし…」

 先日リフレクション集会について書いた時、JCFNに関わりのある若い人たちが亡くなられた話に触れたが、実は昨年、もう一人の青年が主の御元に帰っていた。

 Tくんというこの青年に私は残念ながら会ったことはない。しかし、去年の暮れのJCFNイクイッパーカンファレンス(ec05) に参加した時、彼についての証を聞く機会があった。彼はとてもとても面白い子で、心理学で博士号の取得を目指していたそうだ。彼がアメリカに来るまでのいきさつ、そしてアメリカに来てからのことには、私たちには想像もつかないような激動の時があったのだと思う。しかし彼はその中で主に出会った。主は、彼の魂に触れ、彼を救い出してくださった。そして、私たちにはなぜだかわからないけれど、主は他の若い人たちよりも一足先にTくんをご自分のもとに呼ばれた。

 Tくんは一昨年のecに参加し、主にあって大いに燃やされていた。日本の御家族にもいかに素晴らしかったかを話していたそうだ。去年のecには、日本から、Tくんのノンクリスチャンのお兄さんが参加してくださっていた。弟があんなに素晴らしいと言っていたecがどんなものなのか、弟を変えたジーザスがどんな存在なのか、それを知りたくて来たと、全体集会で分かち合ってくれた。

 カリフォルニアでの交わりの中でTくんと親しかった何人かの兄弟姉妹たちが、この3月、Tくんを覚え、Tくんのご両親にプレゼントするために「もし…」という歌を作った。テーマはローマ人への手紙14章7−9節。

私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。

歌の歌詞は次の通り。この曲の製作と演奏に関わったゆふちゃんと沙織ちゃんの許可を得て、掲載させていただきます。

自分の力で生きようとしていた
けど、頑張れば頑張るほど 辛くなった
自分の無力さに気が付いた時
あなたは私を抱きしめていた


もし、生きるのなら あなたのため
もし、死ぬのならば あなたのためと 決めた
私のいのちは あなたのものだから 
私は主のものだから


自分の人生を握りしめてた
けど、握れば握るほど 苦しくなった
自分の両手を開いた時
あなたへの感謝と喜びがあった


自分一人で平気なふりしてた
けど、強がれば強がるほど 虚しくなった
広い青空を見上げた時
君を愛してると 言ってくれた


神さまのために生きる
それが私の願い
もう自分一人で頑張らなくてもいい
神さまが一緒に おられるから


もし、生きるのなら あなたのため
もし、死ぬのならば あなたのためと 決めた
私のいのちは あなたのものだから
私は主のものだから


(C) T.T.T. project

沙織ちゃんは、この曲を分かち合ってくれた時、「(Tくんが)死んじゃった事、『一粒の麦になった』っていう一言で語ってほしくない、って思うけど、でも、彼から出る実が一つでもたくさん結ぶなら、私は一生何でもしたいって思っています」と語ってくれた。そしてゆふちゃんも沙織ちゃんも、この曲が慰めや励ましとしてより多くの人の心に届けられていくことを願っている。私も、この曲を聴いた時、生きる目的と、勇気と希望を与えてくれる歌だと思った。皆さんも、良かったら是非聴いてみてください。歌っているのはゆふちゃんです。曲をダウンロードすることもできます。

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