ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

「こどもらしさ」(まいちーさんの日記より)

 まいちーさんが、25日付のはちこ母が奈良の高校生の事件に関して書いたものを読んで、それに関連した日記を書いてくださいました。とても大切なことが書かれていると感じたので、お願いして転載許可をいただきました。以下にご紹介します。(ミクシィ日記なのでここからはリンクできないのですが、まいちーさん、転載許可をくださってどうもありがとう!)

ーーー
…(前略)…

感受性が鋭かったり頭がよかったりする子どもは、大人が見るとすぐ分かる。だから親も先生も周囲の人も、そこを育てようと頑張る。それは間違ってないと思う。それは神様から与えられた祝福だから。

しかし頭脳は大人でも、ココロやスピリットが理解力と同じ年齢かっていうと、必ずしもそうじゃない。しかし、目に見えて頭のいい子、目に見えて出来る子、目に見えて大人びた子は、目に見えない子どもらしさに気づかれず、尊重されずに育ってしまう場合がある。

長男長女はその傾向がもともと強い。親がいない時に、兄弟の中でリーダーになったりするので、どこかで子どもなのに大人の役割を担う。そういう時、自分の子どもらしさを自ら押さえつけやすい。

その上で頭がよかったりスバ抜けて大人びてたり、何かしら「大人社会で評価される才能」があると、子どもらしさはさらに押さえつけられやすい。子どもらしさは大人社会では評価されないから。そのことも大人びた子は分かっちゃうから、またまた自分で押さえつけてしまうんだよね。

子どもらしさが抑えられると、甘えられなくなる。「子どもじみた」感情全般を、悪いものと思い込む。わがまま、激しい自己主張、喜怒哀楽、依存などなどを否定し、完全主義に陥りやすくなる。自由では、なくなる。

どんなに頭がよくって大人びていてスーパーな子どもでも、赤ちゃん返りして甘えられる相手が絶対必要。ワガママで、甘えん坊で、喜怒哀楽をストレートに表現して、愚痴って。そんな「子どもっぽい」ことを、平気で出来る関係。子どもっぽい姿をさらけ出しても、ゆるしてくれる関係。

私も子どもらしさを否定して育ってきたタイプ。思春期は、それまで押さえつけてきたものが爆発して、反抗って形で現れた。子どもらしさに適切に対処してこなかったから、今でも時々突然ものすごく子どもっぽい行動に出ちゃったりする。それで苦しんで、悩んで。

私が自分の中の押さえつけてきた子どもっぽさに向き合えるようになったのは、Jesusに出会ったからだ。

私たちは、神様の子としてもらえてる。だから、神様の前では子どもらしくしていいんだ。特に、まだまだ神様との関係が浅い今は、大いに赤ちゃんがえりしたっていいじゃないか!

そう気づいた時、私は本当に本当に、子どもの頃からどうしても埋まらなかったものが埋まった。

神様を相手に、ワガママいってみたり、甘えてみたり、喜怒哀楽をストレートに表現して、愚痴って。どんなに子どもっぽい姿をさらけ出しても、神様はゆるしてくれるのだもの。だってお父さんなんだもの。

もちろん、いつまでも幼児のようなことをしてていい訳じゃない。神様との関係も、人間関係と同じでどんどん深まっていくべきだ。最近思うのは、神様はベビーの私を自分の子とし、ゆくゆくは一緒にビジネスを出来るくらい一人前に育てようとしてるらしいってこと。

だけど、本当に思う。いろんな人間関係がある。いろんなことで、私を評価してくれる人がある。けれども、私の子どもっぽさ、人目につかない欠点までも完全に受け入れてるのは、神様以外にいないって。

子どもでいられなかった人を、もう一度育てなおす。
神様は人生のやり直しを与えてくれる。

ーーー

 私は今、エミのことでいろいろ悩んでいたのですが、これを読んでその問題に光が差し込まれたように感じました。はちこ母も、「7歳には7歳の感情、16歳には16歳の感情がある」と言っていましたが、これを認識しておくのはとても大切だと思います。人より抜きん出ている才能があるからといって、その分感情的にも成熟しているとは限らないのですね。実際、感情的な発達は、年相応にゆっくり進まないと、いつか必ずどこかでそのしわ寄せがくるものなのかもしれません。特別な才能のあるなしにかかわらず、十代の子供というのは、体力、体格、知力などはぐんと成長して大人並みに近づくけれど、感情面の発達は他の部分の成長より遅く、知的な議論や論理的な判断ができるからといって、感情的に安定しているわけではない、というような記事がしばらく前のシカゴトリビューン紙にも出ていました。
 子供の子供としての感情を尊重してあげること、その子供らしい感情に沿った行動も、年相応に認めてあげること… 随分前にグリコの広告で、6歳くらいの子供が擦りむいたひざを抱えて泣いている写真に「ゆっくり大人になぁれ」というコピーがついているものがありましたが、まさにそれなんですね。 私は、しっかり者のエミを大人として扱ってあげることこそ、彼女の人格を尊重することになると思っていた部分がありましたが、必ずしもそうではなかったのかもしれません。彼女がまだ15歳の今、それに気づいて良かったです。

 そして、
>子どもでいられなかった人を、もう一度育てなおす。
>神様は人生のやり直しを与えてくれる。

 先日の大倉先生の「親替え」のメッセージにも通じますね。これを読んでくださった方の中には、自分は子供の頃、子供でいることが許されないままに大人になってしまった、と感じている方がいらっしゃるかもしれません。大倉先生やまいちーさんが言っておられるように、神様は私たちの「親」として、子供のやり直しをするセカンドチャンスを与えてくださるお方なんですね。私たち一人一人を子供から成熟した者へと、手塩をかけて育て上げてくださる天のお父さんに感謝します。

ホーム日記ミルトスの木かげで(最新)