ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

"Real Me, Real Life, Real Jesus"

 今年のCCは、"Real Me, Real Life, Real Jesus"というテーマで開かれた。
 人間って、生きていく上でだんだんといろんな仮面をつけるようになったり、恐れや不安を感じて心のいろんな部分に鍵をかけて閉じこもってしまったりすることがある。クリスチャンでも例外ではない。でも、神様の光の中で本当の自分に向き合って、ジーザスの愛と恵みに満ちたtransforming powerに触れられて、ジーザスのいのちの中に生かされて、裏も表もない統合されたオーセンティックでリアルなクリスチャンライフを歩んで行きたい… このようなヴィジョンをいただいて、今年の一月から準備委員たちはこの修養会の準備を進めてきた。(オーセンティックとは? こちらをどうぞ。)
 まず、メッセージは要(かなめ)。御言葉から語られること。神様から直接取り扱われること。どの先生に講師をお願いするか祈り求める中で、今年はシアトルの金田豪先生が与えられた。
 御言葉から語られるのが大切であるのと同時に、神様の御業とは、しばしば主にあるコミュニティーの中で、他者を通してもなされるものでもある。毎年参加者から「もっとスモールグループの時間が欲しかった!」という声があがっていたことも踏まえて、今年はスモールグループの時間を例年よりも増やした。
 さらに、例年だと日曜日の午後は分科会がもたれ、いろんなトピックについて学ぶ機会がある。しかしわずか二泊三日の修養会で、このテーマを深く掘り下げ、主に触れていただくためには、はたして分科会がベストの方法だろうか。もっとふさわしいものがあるのではないか…? そんなことを話し合う中で、パネルディスカッションはどうだろう?という意見が出た。

 フィリップ・ヤンシーは、『イエスが読んだ聖書』という本の中で次のような感じのことを言っていた。クリスチャンは『神との関係』ということをよく言うけれど、実際のところ、『神との関係』とは、どういうものなのだろう? 人はどのようにして、どのような関係を神との間に持つのだろう…? もしこの質問を、アブラハム、エノク、エレミヤ、イザヤ、モーセ、ダビデ、ヨブ…と言った人たちに尋ねるならば、きっと千差万別の答えが返ってくるだろう。私たちの神体験、神と共に歩む人生とは、一人ひとり異なるユニークなものであり、一つの公式でくくれるものではない。そして、いろいろな人たちの神と歩む人生の中で経験していく様々なストーリーを聞く事によって、私もまた自分と神との関係に思いを巡らせ、そこから新たに神を知ることができるのではないだろうか…
 今回、CCの初企画であるこのパネルディスカッションが目指したのは、まさにこのようなことだった。4人の年齢や立場の違う方たち(学生、社会人、独身、既婚、男性、女性など)にパネラーをお願いした。いわゆる「証」を聞かせていただくというよりも、葛藤や失敗談なども交えてパネラーの方々が日常のリアルライフにおいてどのように主と共に歩んでおられるのか、さまざまな体験を通して、どのように神様をより深く知り、どのように自分が変えられ、またどのように自分と神様や他者との関係が変えられていったのかを、飾らず、そのまま、お話していただいた。そしてそのような個々のお話を聞くことで、会場にいる参加者の皆さんもまた自分自身と神様とのユニークな体験を振り返り、そこで働いておられる神様の御臨在、御業に思いを巡らせる時になればと願った。
 パネルディスカッションの後はスモールグループに分かれ、シェアリングの時間を持った。会場の参加者の方たちが、パネラーのお話を聞いて「ふーん」と他人事で終わらせるのでなく、そこからさらに一歩踏み込んで、自分の体験、自分の神とのストーリーに目を向け、そこから主御自身に語りかけてもらうことができることを願った。

 パネラーの方たちのお話は、本当に正直で、オープンで、vulnerable なものだった。ここでいうvulnerableとは、まさに仮面をはずしている状態、自分の力で自分を守ろうとする楯を降ろして主に委ねている状態。愛する主と主にある兄弟姉妹との前で、リアルでナマな自分の姿(時には手痛い失敗や醜いダークな部分があっても)と、そんな自分の人生にリアルでナマな神様が、どんなふうに関わり、どんなふうに一緒に歩んでくださっているかを、ただ主だけにご栄光を帰しつつ、リラックスした雰囲気の中でストレートに語ってくださった。パネラーお一人お一人のvulnerabilityを通して、彼らの人生の中で生きて働いておられるジーザスの姿が見えた。約2時間の間、会場の人たちも身を乗り出して、食い入るように聞いていた。
 パネラーの方々にとっては、ある意味、勇気のいることだったろうとも思う。でも皆さん、主に押し出され、主から確信をいただいて、喜んでお分かちくださった。スモールグループリーダーの方たちから聞いたフィードバックによると、その後の時間では、みんなも心を開いて、本当に深い分かち合いができたとのことだった。

 CC07の準備において、私たちが祈ってきたことはすべてかなえられた。(ヤス、祈りのチームのコーディネートとリードをありがとう!)金田先生のわかりやすく、ストレートで、聴く人の心を掴むメッセージ、霊とまことによって捧げられた賛美、オープンでナマなスモールグループとパネルディスカッション、その他すべてのことが、神様の指揮のもとに、素晴らしい音楽を奏でてくれたという感じがする。
 最初に神様が見せてくださったヴィジョン、おぼろげにしか見えていなかった私たちだけど、神様が私たちの一歩一歩を確かなものにし、導いてくださるのを信じて進んできた。そして当日が来て、ふたを開けて見たら、神様が実際に為してくださったことは、私たちが見ていたものよりもはるかに素晴らしいものだった! それは、本当に嬉しい驚きだった。決して期待していなかったわけじゃない。もちろん期待して臨んだ。だけどこの全地宇宙の創造主でありすべてを治めておられる神様は、私たちが期待していた以上のものを、シカゴ郊外でもたれた参加者70名ほどの小さな修養会の上に、惜しげもなく豊かに豊かに注いでくださった。

 すでに、CC07に参加した人たちからいろんな証が届き始めている。CC07を通して神様が一人ひとりの霊に、魂に、人生に、どのように語りかけ、どのように触れてくださったのか、本当に測り知れないと思う。ただただ主の御名をたたえ、主に感謝。私自身も、ある慰めと、それとは別に新しいチャレンジも与えられた。それについても追々書いていきたいと思う。今日のところは、シカゴから初参加してくれた「大ちゃん」がミクシィ日記でシェアしてくれていた証を、ご本人の許可を得て、一部ここで紹介させていただきます。

 一緒に準備委員として共に仕えたみんな、ありがとう。メッセンジャーの金田先生、ありがとうございます。そしてCCに来てくださった皆さん、どうもありがとう。そして何よりも、Thank you, Jesus! Your loving kindness and abundant grace never cease to amaze me!

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