ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

優しいケン/For this child I prayed

 日々の暮らしの中で、私はよく失敗をする。先日もやってしまった。レモンライスを作るために買ってきたロンググレインのお米の袋、ちゃんと開閉ができるようなジッパーが片側についていたのに、それに気づかずに反対側をはさみで切って開けてしまったのだ。
 切ってしまってから反対側のジッパーに気づき、「ひいいい〜」と叫び声をあげ、一人で身をよじって悶絶していたら、ケンが駆け寄ってきて言った。
 「ママ、どうしたの?」
 「こっち側にジッパーがついていたのに、気がつかないで反対側を切っちゃったのよ…(泣)」
 するとケンは、落ち着いた口調でこう言った。
 「大丈夫だよ、ママ。切っちゃった方はテープで頑丈に留めて、それからジッパー側を使えばいい」
 ケンスケ、賢い。 しかしそれだけじゃない。さらにこう言った。
 「他のママたちだって、みんなこういう失敗はきっとしていると思うよ。だから心配しないで」 そしてギュッと私をハグ。
 優しい〜〜。(感涙)
 これ、作り話じゃないですよ。実話です。どうしてケンはこんなに優しいのだろう。こんなに優しい7歳の男の子って…  ケンだけでなく、うちの子供たちはみんな、親に対してはとても優しい。(お互いの間では、??なんだけど。汗) 感謝なことだなぁと思う。みんな、ありがとう。神様、ありがとう。



付記:ケンスケを妊娠中の時のことをふと思い出した。以下は、2000年12月12日の「はちこの日記」から。For this child I prayed...

こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリザベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼はぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。(ルカによる福音書1章13〜16節)


 金曜日だったか、デボーションのときルカの福音書1章13〜16節から、母の胎の中にいるうちから聖霊に満たされるなんて、なんて素晴しいのだろう、といろいろ思わされていた。お腹の子が私にとっての「喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜」ぶなんて、こんな祝福はない。そう思って私もこの御言葉をお腹の子のために祈っていた。

 そうしたら、日曜日の夕拝のメッセージがまさにこの箇所からだった。内容は子供とは直接関係なく、神様からの召しに答える、ということだったのだが。ザカリヤが最初に御使いから語りかけられたとき、彼は恐れ怯えたけれど、信仰を持って召しに答えるとき、あなたの働き(ミニストリー)はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、また周囲の人たちにとってもそれは喜びをもたらすでしょう、はしょっていうなら(かなりはしょった)、そのようなメッセージだった。

 メッセージのあと、お祈りの時間があって、私たち家族が着席したまま祈っていたら、ある兄弟が私たちのところにやってきて、子供たち3人を含む一人一人の上に手を置いて祈ってくれた。私に手をあてて祈ってくれている時、彼はお腹の赤ちゃんのためにも祈ってくれ、そのとき、「この子がバプテスマのヨハネのように、母の胎内にいる時から聖霊に満たされ、親にとっての喜びとなり楽しみとなり、また多くの人にもその誕生が喜ばれるようになりますように」と祈ったのだ。私はもうびっくり。二日前に私が祈ったのと全く同じ祈りなのだもの。

 帰りの車のなかでその話しをぼぼるパパにして、この子のミドルネームは「ジョン」にしよう、ということになった。ケンスケ・ジョン・ナカムラ。

 何ていうんだろう、我が子でありながら我が子でないような、不思議な気持ち。末っ子で、しかも初めての男の子だから、うっかりしたらものすごく甘やかしたり、期待過剰になって私のエゴを子供のうえに投影したくなってしまうかもしれないけれど、そうならないよう気をつけなくてはいけないんだな。私の私有物ではなくて、神様からの大切な使命、ご計画を受けていただいた命なのだから。(もちろん、すべでの子供がそうなんだけど。)

ホーム日記ミルトスの木かげで(最新)