ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

今やっている翻訳

 『12 "Christian" Beliefs That Can Drive You Crazy --Relief from the False Assumptions』という本を翻訳している。今回もクラウド&タウンゼント博士の著作。彼らの著作の何が素晴らしいかといえば、彼らは「人間」というものを、本当に聖書的にとらえていることだと思う。つまり、人間は「霊的」な存在であると同時に身体と魂(感情・知性・意志など)を持った「肉的」な存在でもあることを正面から見据えているということ。
 この世の心理学は人間を後者のようにしか見ていないし、いわゆる「スピリチュアルな」キリスト教の書物はしばしば人間の肉的な性質から目を背け、霊的な部分でしか人間を捉えようとしていないように感じる。結果として、セキュラーな心理学は人間の行動や思考パターンに関する豊富な観察とデータの集積という点では貢献してくれるけれど、人間の根底にある霊的な必要にまでは手が届かず、本当の解決は与えてくれない。一方人間を霊性からだけで語ろうとすると、確かに正しいことを言っているようなのだけれど、受け取る側としては何かが自分の実際の経験や生活とは噛み合ず、それは私が充分霊的でないからいけないのかな…という気にさせられる。
 しかし、イエスさまは「受肉」した神だ。100%神でありながら、100%人間でもあったイエスさまは、人間の霊的な必要と肉的な必要の両方をご存知であられた。そして聖書は人間を確かにそのような存在として語っている。クラウド&タウンゼント博士の著作は、そのことを読者に思い出させてくれる。人間の霊と魂と身体がどのようにつながっているかを理解した上で、私たちが日々の生活で直面する諸問題への解決の糸口を教えてくれる。人間はいのちのパンも必要だけれど、小麦粉のパンも紛れもなく必要なのだ。イエスさまは群衆の霊をいのちのパンで満たしただけでなく、身体もまた実際の食べ物で満たしてくださった。イエスさまは私たちの両方の必要をご存知であり、それを満たすことのできるお方。実際弟子達には(私たちにも)「日ごとの糧」を求めて祈る事ことも教えられた。しかしキリスト教「的」考え方のなかにどっぷり浸かっていると、小麦粉のパンを必要とすることがあたかも罪であるかのように思えてくることがある。でもそれは聖書の教えていることではなく、あくまでキリスト教「的」な考えだ。

 『12 "Christian" Beliefs That Can Drive You Crazy』はクリスチャンを混乱させ、みじめな「クルシチャン」にさせてしまうような、12の間違ったキリスト教「的」信念(思い込み)を斬り、聖書が実際には何と言っているかを教えてくれる本です。夏の終わりまでには翻訳が完成すればいいなと思っています。 今回の翻訳の上にも主の助けと守りがありますように!

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