ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

いろいろ

 ケンスケは昨日、五歳検診で予防注射を3本打たれた。まー、大泣きしたこと。看護婦さんに言われた通り、DTPの注射を打った左腕は赤く腫れて痛そう。今日は誕生日パーティーなのに、遊べるかな?

 夕べのファミリーデボーションの時間(んー、デボーションというか、最近は賛美、分かち合い、お祈りがメインなんだけど)は、またとても祝された。エミもみんも、それぞれソプラノとアルトのパートを自分で適当にハモらせながら熱心に歌っていて、必ずしも洗練されたハーモニーとは言えず、ギターを弾いていたパパと私は目を見合わせて思わず微笑んでしまったけれど、文字通りmake a joyful noise unto the Lordで、感謝だった。いつか、ナカムラファミリーのワーシップバンドなんかをできるようになったらいいなぁと、ひそかに思ってたりする。
 分かち合いでは、今、エミがいろんなところを通っていて、自分の葛藤を包み隠さず正直に打ち明けてくれた。みんはチャチャを入れながら聞いてたけど、悩みつつもそれを神さまと家族のもとに持って来るエミの姿は、妹たちの良いロールモデルになっているだろうなと思った。仲良しのお友達が無神論者で、とても賢く弁が立つ子なので神さまの話をするのが難しい、とエミが言うと、みんが、「そういう時は議論をするんじゃなくて、自分の個人的な証を分かち合うんだよ! 他人の個人的な体験については、誰も議論できないからね。」 恐れ入った! その通りだね、みん! ぼぼるパパも、「人の魂をキリストのために勝ち取るとは、決して議論や理屈でするものじゃない。結局は自分の人となりを通して現されるイエスさまが、その人に触れてくださるのだから。」とはいえ、ノンクリスチャンの友だちが持つ聖書や信仰に対する疑問について、それなりに答える備えができているに越したことはない。それで、ジョシュ・マクドーウェルの「Evidence That Demands a Verdict」やリー・ストロベルの「Case for Christ」を資料として渡したら、エミとみんは「これはいい!」と目を輝かせていた。
 分かち合いの後はお祈り。やっぱりエミが心を注ぎ出すようにして祈っていた。エミ、みん、ま〜やの順で祈ったあと、エミは「もう一回祈っていい? まだ心の中にある事,全部祈り切れてないから」と再び祈った。ケンはいつの間にか寝てしまったので(苦笑)、その後は私、ぼぼるパパと祈り、それでおしまい。7時半頃から始めて、終わったらもう9時過ぎだったのでみんなびっくり。とてもそんなに長い時間がたったようには感じなかったのだけど。エミは多分、本当は神さまの前にもって行きたいものがたくさんあるのだろうけど、普段は忙しかったりdisciplineが足りなかったりで、なかなか一人では神さまの前に出れないのかもしれない。こうやって、一緒に祈る機会をもっと作ってあげることが必要だなと感じた。

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