ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

エレミヤ29:11−14

 いまさら?っていうくらい有名な箇所だけど、数日前にこの箇所を読んだ時、とても強く語られるものがあったので、メモ。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。--主の御告げ。--それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
わたしはあなたがたに見つけられる。--主の御告げ。--わたしは、あなたがたの捕われ人を帰らせ、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、
すべての場所から、あなたがたを集める。--主の御告げ。--わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。

 人間的に考えれば、バビロン捕囚に取られることがユダやイスラエルの民にとって良い事だとはとても思えない。異教の国ですよ、捕囚ですよ! 神様、確かに自分たちの行ないの結果ではありますが、それにしても他に方法はなかったのですか… 何とか生き延びたものの捕囚に引かれていったユダの民としては、そういって泣きつきたかったに違いない。ハナヌヤや他の預言者たちの偽預言が言うように、主がバビロンのくびきを打ち砕いてくださればいいのに、今すぐこの場を平安で満たしてくださればいいのに、と。なぜバビロン捕囚なんですか…? しかし神様は「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている」とおっしゃった。God knew what He was doing. He said, "I know the plans I have for you!" それはわざわいではく、平安を与える計画であり、将来と希望を与えるためのものなのだと。人の目には最悪な状況に見えるかもしれないけれど、これこそ、神がユダの民を建て直し、エルサレムを再建するために選ばれた方法だった。そう、確かにこれは、ユダの民が自ら刈り取らなくてはならなかったconsequencesだったが、それを通して主は彼らのうちで成し遂げようとしていることがあった。主はそれには70年かかると言われた。しかし主を信頼し、絶望することなく、主を呼び求め続け、主に祈り、心を尽くして主を捜し求めなさいと言われた。そうすればわたしを見つけるだろうと。どん底のような場所でも、わたしはあなた方に出会うと。そして時が満ちれば、わたしは再びあなたがたを集め、もとの所に帰らせると。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。--主の御告げ。--それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」私はこれまで、この箇所は、神様がこれから先私のために何かとても良い計画を持っておられるという意味だと思っていた。もちろん、将来にもご計画を持っておられるだろうけど、今回読んで気づかされたことは、私は「今」すでにそのご計画のなかにいさせてもらっているのだということ。現状がどんなものであれ、私はすでに、「わざわいではなく、平安と将来と希望を与える」計画の中にいるということ。今わたしがいる場所、no matter how terrible it may look, no matter how hopeless it might appear, これはすでに平安と将来と希望へ向かう神様のご計画の一部なのだということ。ここを通らないと、神様が約束してくださっている平安と将来と希望を自分のものにすることはできないということ。 願わくば、イスラエルの民には70年かかったことが、私の場合はもう少し短いといいなぁという感じだけれど…(笑) とにかく! 私は今すでに素晴らしい主のご計画の中にいさせてもらっているのだから、失望することなく、主に信頼して主の御名を呼び求め続けよう。これはきっと、信頼のレッスンであり、忍耐のレッスンであり、従順のレッスンであり、へりくだりのレッスンであり、状況に左右されない喜びと希望のレッスンであり、私の品性が練り直されるために不可欠なプロセスに違いないのだから。

ホーム日記ミルトスの木かげで(最新)