ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

主の御目には…

 先週の金曜日、13年以上続いている仲間たちとのバイブルスタディでバーバラが分かち合ってくれたこと。
 バーバラは小学校の先生をしている。何年か前、同じ小学校にもう一人のクリスチャンの教師、ボブが赴任してきた。ボブは、朝の始業時間前に一緒に祈り会をしないかとバーバラを誘った。彼女はあまり乗り気ではなかったけれど、彼はあっという間に他の先生たちにも声をかけ、クリスチャンノンクリスチャンを問わず数人の先生たちがバーバラの部屋に集まって、祈りで一日を始めるようになった。彼の社交的な性格も手伝ったのか、祈り会は毎朝盛況で、それが数年続いた。しかし彼は転勤になった。彼が転勤になると、祈り会もほぼ自然消滅状態になった。バーバラがボブの後を継ぐことになったが、彼女はボブのようにみんなの部屋に顔を出して「さあ祈り会やるよー」と声をかけることはできず、結局、同室の年配の教師アリスと二人で祈るようになった。アリスはカトリックで、彼女がイエス様と個人的な関係を持っているのかはっきりわからなかったが、とにかく、二人でデボーションの本を読み、聖書の該当箇所を読み、それから祈った。二人だけの祈りと分かち合いの時を持つことが約一年続き、アリスは今年の7月、定年で退職した。祈り会の方は、不思議と9月からまた人が集まり始め、途切れることはなかった。11月になって、アリスが胃ガンで倒れたとの知らせが入った。ガンは転移しており、おそらく余命は長くないだろうとのことだった。バーバラは言った。「祈り会がアリスと二人きりになって、他に誰も集まらなかった時、私はボブのようじゃないからだめなのかなと思ったりしたけれど、今にして思うと、それが神様のご計画だったのだという気がする。アリスにとって、二人だけでゆっくり御言葉を読み、祈り、リフレクト(思い巡らし)する時間を1年間毎朝持ったということが何を意味していたのか、私には測り知れないものがあると思う。…」
 祈り会とか、バイブルスタディとか、そういうものを企画する時、私たちはつい集まる人数によってその価値や成功を計りがちだが、やっぱり人数に惑わされちゃいけないなと思った。私たちが主の御名によって集まる時に神様がご覧になっているのは、参加者の頭数ではなく、一人一人の魂のニーズなんだ。
 私自身、9月から始まったバイブルスタディ「MFJ(Message For Japan)」で、似たようなことを見せられている。せっかく宣教師のM師が始めてくれたウィークリーのバイスタだったけれど、最初のうちはあまり人数が集まらなかった。毎週忠実に集っていたのは唯一A兄だけで、A兄が来られない週には、M師以外は誰も来なかったという時さえあった。このA兄は、感謝祭直前に日本のお父様が危篤になり、急遽一時帰国した人(こちら参照)。お父様は結局、A兄の帰りを待たず、亡くなられた。A兄は日本で葬儀その他、必要なことを済ませてからシカゴに戻って来た。そして残されたお母様の面倒を見るため、シカゴでの生活をたたんで来年の春には帰国する予定。
 A兄はクリスチャンになってから、まだそれほど年数は経っていない。受洗は去年の秋だった。この一年余の間に、彼はどれだけの試練を通ったことだろう。でも彼は神様に忠実で、神様も彼に忠実だった。先週の土曜日は、M師が休暇でカリフォルニアの実家に帰郷中だったため、代わりにA兄がバイスタをリードしてくれた。バイスタが終わってから、私はA兄に「9月からMFJに集うようになって、どう? 何か特に教えられたとか、インパクトがあったこととか、ある?」と聞いてみた。彼は、MFJを通して、特にM師との出会いを通して、日本への思いが強く与えられるようになったと語ってくれた。彼の実家は日本海側で、東京などに比べれば、クリスチャン人口はずっと少ないと思う。その地で、これからキリストの福音を担う者として帰国することについて、彼の心は今、燃やされている。彼が9月にMFJに集うようになった頃には、まさかこんなに急に帰国することになるとは思っていなかったはずだが、神様はMFJやM師との交わりを通してA兄を帰国へと整えてくださっていたのだ。最初の数ヶ月は、MFJに集う人数は少なかったけれど、A兄にとっては、それが逆に、神様とM師と共に持つクオリティタイムになったのだなと思った。最初の数ヶ月で神様がMFJを通して成し遂げたかったのは、大勢の交わりを育てることではなく、A兄を整えることだったのだろう。
 これから先も、神様はきっとMFJを通していろんなことを見せてくださると思うが、人数などの表面的なことではなく、そこに集う人たち一人一人の生活の中で神様がどのように働かれ、私も含めて参加者がどのように変えられていくのか、それがとても楽しみだ。アルファでありオメガである主がなさっていること、その御目がご覧になっているもの、そこに私の目と思いも向けられますように。

ホーム日記ミルトスの木かげで(最新)