“Doubt is not the opposite of faith; it is one element of faith” Paul Tillich
今朝の礼拝で、主任パスターのメッセージの最後の方で引用されていた言葉。この言葉には、フィリップ・ヤンシー的響きがあるなぁと思った。
もっとも、聖書には疑わすに信じなさいと書いてあるよね。多分、パウル・ティリッヒ(ポール・ティリック)の言う「疑い」や、ヤンシー的スタンスの「疑い」は、「信じない心」のことではなく、「わからないものはわからないとそのまま認め、その答えを神に向かって探求する心」なんだと思う。こじつけ?