ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

"And we don't give a shit."

 週末のリトリートで聞いた話から。
 うちのパスターが神学校の学生だったころ、トニー・カンポロが招かれて講演をしたことがあったそうだ。「飢餓で苦しむ人々と、教会の役割」みたいなテーマだったらしい。カンポロ師は、様々な社会問題にキリスト者として深い関心を寄せ、教会として何ができるか、何をすべきか、クリスチャンたちにチャレンジを与えている人だ。
 そのカンポロ師が神学校で話をしている時、こう言ったそうだ。"There are so many people in the world who are suffering from poverty and hunger, and we don't give a shit.(世界中には貧困と飢餓で苦しんでいる人たちが大勢いるのに、私たちはそれを意に介そうともしない)"
 これを聞いた神学生や教授たちが、どんな顔をしたか、想像にかたくない。講師の口から思いがけず出てきた「shit(糞)」という野卑な言葉に、眉根を寄せ、互いに顔を見合わせたことだろう。
 カンポロ師は続けてこう言ったそうだ。「そしてあなたたちにとっては、今私がshitという言葉を使ったことの方が、世界中に飢えている人が大勢いるという事実よりも、大問題なのでしょう」
 この後、神学校の教授たちは、彼が講演の中で野卑な言葉を使ったからという理由で、カンポロ師を二度と招かないことに決めたそうだ。皮肉にも、まさにカンポロ師が言った通りであったことが証明された。

忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。(マタイ23:27、8)

 イエス様も、当時の律法学者やパリサイ人たちが後生大事に守っていた律法を破るかのようなことを平気でやっては、律法学者たちの神経を逆なでしていた。イエスの行動に対する律法学者たちの反応によって、彼らの偽善があらわにされていた。この講演でのカンポロ師も、普段から野卑な言葉を使っていたからこの時もつい口をついて出て来てしまったのではなく、聞く人たちの心をあらわにするために、わざとこのような言葉を使ったのだと思う。

 キリスト教とはこうあるべき、クリスチャンとはこうあるべきと、私たちが思い込んでいることの、一体どれだけが実際にイエスが教えておられたことと一致しているのだろう。もう一度、我が身を振り返って考えたいと思わされた。

Following Jesus Without Embarrassing God

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