ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

もろもろの感謝/スモールグループの恵み

 夕べのぼぼるパパのワークショップの夕食会はとても良かった。
 会場であるファカルティークラブ(教職員用食堂)に早めについて、ぼぼるパパに電話をすると、彼が笑いながら電話にでた。ちょうど記念撮影をしていた最中だったそうで、おとといの晩は死にそうに疲れた顔をしていたけれど、電話の笑い声は楽しそうだったので、ああ良かったと思った。
 会場では、参加者の人たちが皆さん、それはそれは嬉しそうで、彼らがこのワークショップを満喫しているのが伝わってきた。何人もの人たちが、「ぼぼるがこのワークショップを開いてくれて良かった、感謝している」と言ってくれて、私も嬉しかった。参加者の顔ぶれは多岐にわたっていて、大学の研究者たちだけでなく、ワシントンDCでABC系列のTV局の天気予報士をしている人や教育コンサルタント、高校のサイエンスの先生など、普段の学会ではちょっとないようなユニークなグループだったのではないだろうか。それぞれの立場は違えども、みな同じミッションやチャレンジを感じている人同士だったので、そこにはある種のcomradeship(仲間意識)が生まれていたように感じた。
 ぼぼるパパは、夕べは疲れよりも満足の方が表情にも現れていて、彼も幸せそうだった。ワークショップは今日の昼までだから、今頃はもう終わったのだろう。その後、日本からのゲストを連れて夕食を共にし、ホテルにまで送り届けるという役目がまだ残っているが。それでも、願い通り、「成功裡に速攻で」終わったよね。まだこの後、いろんな後処理はあるらしいけど、ゆっくりやればいいよ。お疲れ様でした。(^^)
 お祈りに覚えてくださった皆さん、ありがとう。そして何よりも、ぼぼるパパを助け導いてくださったジーザス、ありがとう。

 そして今朝は、ケンスケが旅だって行った。二泊三日の教会の小学生キャンプ。今まで彼が参加したキャンプにはいつもぼぼるパパが付き添っていたけれど、今回は初めてケン一人での参加。本人は「大丈夫だよ」とケロッとしていたけれど、いざバスに乗り込んで私とお別れする時は、ちょっと顔が曇っていた。バスが出発するまで、外から窓越しにずっと手を振り続けた。お互いに、何度も投げキッスをした。
 キャンプの場所はここから1時間半くらいのところで、日曜日に礼拝後、そこまで迎えに行くことになっている。キャンプ場ではお昼から、BBQや魚釣りやカヌーやアーチェリーなど、夕方まで家族みんなで楽しめるようなプログラムになっているらしい。
 ケンのバスが出発した後、胸がキュンとなってちょっと泣いてしまった。ケンの荷物、結構重たいんだよ。一人で運べるかな。夜寝る時、寂しくなっちゃわないかな。もしかしたら、三日間シャワー浴びないかも。(男の子にはありがち。)シャワーはともかくとしても、歯はちゃんと磨いてほしい。スケートボードも持っていったけど(他にも持って来ている子は大勢いた)、怪我をしませんように。きっと、精神的にも一回り大きくなって帰って来る気がする。可愛い子には旅をさせろって言うしね。こうやってどんどん成長していくのでしょう。(ちょっと寂しいケド。)

 一方、この前の日曜日の午後から高校生キャンプに行っていたエミは、今日帰ってきた。主に深く触れられたようで、すっかりon fire for Jesus になっている。メッセージもワーシップも良かったけど、一番良かったのはスモールグループだったそうだ。初日の晩からメッセージは単刀直入で大いにチャレンジを受け、その後のスモールグループの時間ではエミは泣き通しだったそうだ。でもグループのみんなが文字通り両腕を広げてエミを受け入れ、抱きしめ、励まし、共に祈ってくれたのだそうだ。この教会に来るようになって二年半になるけれど、「ようやくこの教会を自分のチャーチホームと言えるようになった」と言っていた。そして、自分がこのグループを通して受けた主の恵みを、他の人にも伝えていきたい、これからもっともっと深く関わっていきたい、とも。いろいろ分かち合ってくれたあとで、幸せそうな深いため息をつき、「すっごく幸せ。私の中でいのちが活動し始めてきた気がする。今まで私は一体どこにいたんだろう?っていう感じ。このキャンプの間、お母さんが私たちのために祈ってくれていた祈りは、全部神様が聞き届けてくださったよ」と言った。ハレルヤ、ハレルヤ。神様、本当にありがとうございます。
 それにしても、本当にスモールグループの威力はすごい。っていうか、スモールグループを通して働かれる神様の威力ね。集会の後に持たれるグループの時間で、主に語られたことを分かち合い、祈り合う。そして、その時受けたチャレンジについて、グループの仲間同士でアカウンタビリティーを負い合うので、集会の後も、ずっと励ましが続く。グループからのサポートがあることが、自分をますます神様との個人的な交わりへとかきたてる。これらのことが相まって、集会で受けた恵みは一時的な感情的高揚で終わることなく、咀嚼され、消化され、自分にとっての血肉となっていく… エミの話を聞きながらそう思った。
 『スモールグループから始めよう!〜人生を変える恵みと真理の実践〜』の主要テーマの一つは、「神は人を通して働かれる」だった。このことに思いめぐらす時、第二コリント7:6「しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました」を思い出す。気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、パウロたちを慰めてくださった… もしテトスが、「パウロたちのことは、主ご自身に慰めていただきましょう。主こそ、大いなる御業を行なうことのできるお方ですから」と言って、自分は出かけていかなかったとしたらどうだろう。主がテトスを通してパウロに与えるつもりだった慰めは、パウロに届かなかったかもしれないのだ。教会、すなわち主にあるコミュニティーが、「キリストのからだ」と呼ばれていることには非常に大きな意義がある。私たち自身が、頭なるキリストの御業を行なう手であり足であるのだ。
 スモールグループは、形式やプログラムのことではない。スモールグループをやっているけれど、全然何の恵みも経験していないという人もいるかもしれないし、「スモールグループ」とは呼ばれてはいないけれど、実質的には同じ役割を果たす主にあるコミュニティーを経験している人もいるだろう。主が聖書の中で主のコミュニティーに対して語っておられることが、その交わりでどれだけ行われているかが要なのだろうな。

 エミが今回の高校生キャンプのスモールグループを通して、主の愛と恵みをこんなにも深く体験し、自らもそれを伝達していく者になりたいと願わされていることに心から感謝。ああ主よ、本当にありがとうございます。

ホーム日記ミルトスの木かげで(最新)