ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

祈る

 今週の立川チャペルの高橋秀典(hide&yoko)先生のメッセージも素晴らしいです。ごひご覧ください。

抜粋

 私たちは多くの場合、幼児期に何らかの心の傷を負います。そこから自分を被害者に仕立てる人生の物語を描くことは簡単です。しかし、私たちは、人生の物語をまったく別の観点から、信仰を持つこともできない幼児期から描き直すことができます。それはひとりひとりに創造主が期待しておられる人生の物語です(詩篇139:17,18「心を生かす祈り」参照)。ただしそれは、私たちの主体性が失われ、決められた一本のレールの上を走るということではありません。私の両親は、「私を生かす」ことを第一に考え、先祖が命をかけて北海道に開拓した水田を受け継がせなければならないとは考えませんでした。同じように、神は、私たちの主体性を重んじながら、ご自身を隠すようにして、私たちの人生を導いておられます。ただそのため、神を身近に感じることができず、自業自得の苦しみに会うこともあります。しかし、それは私たちを束縛しようとはされない神の愛の表れなのです。そしてしばしば、神の選びは、苦しみを通して初めて見えてくるという面があります。それは、自分の出生の環境自体を「神の選び」の観点から見直すことです。それをパウロは、「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼(キリスト)にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神はみむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによって、ご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました」(エペソ1:4,5)と表現しました。


 今、私にはっきりと分かっていることは、自分が神によって選ばれ、生かされ、固有の使命を与えられているということです。それ以外のことは分からないことだらけです。私たちの周りには、「なぜ」と問いかけたくなることばかりがあります。しかし、確かに私は生きています。それは神に生かされているからです。私は、「イエスは私の主です」と告白しています。それは私が創造主なる神によって選ばれたからです。そして、今、目の前に、締め切りのある仕事ばかりか、毎日、いろんな課題が押し寄せてきます。それは、神が私に期待をしておられるしるしです。

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