ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

みん(&私)の葛藤

 みんは5年生の時から学校のバンドでクラリネットを始め、高校でも続けている。しかし、来年度からはもうバンドを辞めるつもりでいる。エミ同様、みんも芸術家肌だが、彼女は音楽よりも美術や造形に興味があるらしい。今年は美術のクラスを履修していて、とても楽しんでいる。今後、音楽と美術の両方のクラスを取り続けることはスケジュール的に難しくなるため、彼女は美術を優先させることにした。
 そして、実はもう一つ、バンドを辞めることに決めたのには理由がある。バンドの担当の先生が、とても良い人なのだけれど、柔らかすぎて、生徒に対する統率力がまるで欠けているのだそうだ。生徒たちは先生の言うことを聞かないため、授業中はいつもざわついているし、もちろん上手に演奏できない。中学の時のバンドの顧問は若い女性の先生だったけれど、彼女はビシッとしていて、生徒たちからの尊敬も集めていたが、今年の年配の男の先生は、生徒たちになめられているのだそうだ。みんは正義感や責任感が強い方なので、こういう時、自分が立ち上がって他の生徒たちに喝を入れたり、先生に代わってクラスをまとめたりするらしく、先生もそんなみんに頼っている部分があるそうだ。しかし彼女としては、先生がリーダーシップを取ってくれないことにはがゆさを覚えており、こういう状況でバンドを続けていてもあまり得るところがないと思ったようだ。
 そして、バンドは辞めることにして、来年度の授業のスケジュールをたてた。
 ところが昨日、上級生から新しい情報を得た。今のバンドの先生は今年度でリタイヤし、新しく若い先生が就任するのだそうだ。その新しい先生が昨日来て上級生のバンドを指揮したところ、激を飛ばし、喝を入れ、なかなか骨のある先生だったのだそうだ。その上級生は、今度の先生は良さそうだから、バンドは辞めない方がいいんじゃない?とみんに言った。
 それを聞いてみんは心が揺らいだ。そもそもバンドは嫌いじゃないし、良い先生のもとで指導を受けられるなら、続けるのはやぶさかではない。新しい先生のもとでもしもバンドが生まれ変わるようなことがあれば、辞めたことを後悔するかもしれない。しかし、その先生も、いざ就任して始めてみたら期待したほどではなく、やっぱりがっかりするかもしれない…
 それで夕べはみんと二人でちょっとしたブレインストーミングをして、バンドを辞める場合と続ける場合のそれぞれのプロとコンを話し合った。自分のパッションはどこにあるのか。高校生活を通して自分は何を成し遂げたいと思っているのか(高校生活におけるゴール・目標)、そのゴールのためにはどんな授業を取り、どんな時間配分をすることが必要か。物理的に、どういう時間割を組む可能性があるのか…etc.
 その結果、やはり予定通り、バンドは今年度限りで辞めることを本人は選んだ。
 もうすぐ一年目の高校生活が終わるが、今年は彼女なりに壁にもぶつかり、悩んだり悔しい思いをしたりした。また、物足りない思い、はがゆい思いもいろいろ経験した。それでも今年はエミがいたから、彼女が良いロールモデル、アドバイザーとしてみんを助けてくれていた部分があったけれど、来年は一人で自分の道を切り開いていかなくてはならない。がんばれ、みん!


 ところで、子供のことや家庭のことに心を砕いていると、時々自分がものすごく自分勝手なのではないか?と感じてしまうことがある。親の子供に対する愛など所詮自己愛の延長であり、親が子供のためにすることは自分のためにしているのと大差ないのではないか、と。子供のことは「主に委ねて」、私はもっともっと他の人たちに仕えていくべきではないのか、と。もし私が独身だったら、あるいは子供が与えられていなかったら、もっともっと主に仕えていくことができたのに、と。しかし、母の日にご紹介した文章を改めて読み直し、神様が私をこの4人の子供たちの母親となるべく召してくださったのだということを再確認した。全身全霊を込めて子供たちを育てること、家庭を治めていくことは、神様が確かに私に求めておられることなのだ。著名な牧師や伝道師でも、自分がこれまでやってきたことで、やり直したいことがあるとしたら何かと聞かれて、「子供との関係」と答える人は多い。実際、第一テモテを見ると、教会の監督や執事の条件として、「家庭と子供を治めていること」が繰り返し述べられている。監督や執事がそうなら、牧師や宣教師、その他のミニストリーに従事する人だって同じだと思う。夫や妻、親として召された人に対しては、神様は何よりもまず、「家庭と子供を治めること」を求めておられる。

自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。
第一テモテ3:5

 主よ、助けてください。導いてください。私が自分の頭の中で勝手に作り上げた理想像ではなく、あなたが私を召しておられること、あなたが私に望んでおられることを、しっかりと見極め、そのことに従順であれますように。あなたが導いておられる方法で、備えてくださっている資源を用いて、あなたとあなたの民に仕えて行くことができますように。私が「達成感」に依存してしまうことがありませんように。あなただけが私が受ける報いです。

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