喜びのための協力者
ずっと前に、『喜びのための協力者』というタイトルの記事を書いたことがあった。
その時は、主に人間関係全般を念頭においていたけれど、昨夜、みんとあるやり取りがあって、改めて、育児というのもまさにこれだなぁと思わされた。子供が、主がもともとデザインされた「その子」の姿へと成長していくなら、その子の人生(いのち)は喜びに満たされるだろう。親はそのための協力者なのだ。
…人との関わりのなかで、相手を何らかの形で支配したいという思いから解放されて、むしろ自分はその人の「喜びのために働く協力者」なのだと思えるようになるのなら、そのような関係からはどれだけイエス様の愛が溢れ出てくることだろうか。家庭生活の中でも、御言葉の務めにおいても、相手が主にある喜びを得るようになるための協力者として自分を位置付けるとき、私の行動パターンも思考回路も大いに変わっていくだろう。…
(2000年11月「喜びのための協力者」より
「私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために働く協力者です。」(第二コリント1:24)