Open door, Closed door
エミの大学の新学期は、9月の17日から授業開始だった。まだ2週間も経っていないので、様子がつかめてくるにはもうしばらくかかるだろうか。
授業もさることながら、この10日ほどは、課外活動をいろいろ探索していたらしい。やりたいことの候補として、オーケストラ、合唱(グリークラブ)、演劇、アカペラ(歌)グループ、ダンス、作曲ギルド(作曲科専攻の学生たちのグループ)、バイブルスタディなどがあった。このうち、前者5つはオーディションが必要で、さらに前者3つは、多大なコミットメントが要求される。
時間的にもこれらすべてに参加できるはずがなく、エミもそれはわかっていただろう。結果を先に言うと、アカペラと演劇のオーディションには落ちた。オケは、グリーと完全にかぶるので、グリーのオーディションに受かった時点で諦めたらしい。本人としては、アカペラも演劇もものすごくやりたかったらしいので、かなりがっかりしたことだろうと思う。私も、本人がさぞかしがっかりしただろうと思うと辛いが、正直言って、ホッとした部分もある。授業だけでも十分厳しい上に、これらすべての活動に参加するなど、どう考えても無理なのだから。
オーディションを受けている期間中、神様が選んでくださった活動だけにエミが参加することになりますように、と祈っていた。だから、アカペラ、演劇と続けて落ちたと聞いたときには、胸が痛んだものの、神様の御手を感じて感謝することができた。(本人はどう思っているか知らないが。苦笑)
一方、バイブルスタディのグループは「ファンタスティック!」だそうで、早速秋休み(10月下旬から)のリトリートに申し込んだらしい。
ケンを通して神様がエミに語ってくださった箴言3章5、6節。これからの歩みの中で、いつもエミがこれを覚えていられますように。今後もさまざまな開かれる扉、閉じられる扉があるだろうけれど、その一つひとつに主の御手が置かれていると確信していれば、どんなアウトカムになろうとも、平安を持って受け止められるはず。
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閉じられた扉というのは、単に機会が奪われたというものではなく、実際には別の機会への「オープンドア」であることも少なくないと思う。思えば、エミの高校時代にもそういうことがあった。彼女が作曲を真剣に志すようになったのも、いくつかの閉じられた扉がきっかけだった。
高校三年生(日本でいう高2)の新学期が始まった頃、エミは合唱部でいくつかのアンサンブルのオーディションを受けたが、すべて落ちた。加えて、合唱部内での人間関係もうまくいかず、毎晩ため息をつきながら帰宅し、夜ごとに泣いていた。食事をしながら泣き出してしまうこともあった。大好きなはずの合唱も、その時間が来ると悲しいことばかりで、エミは精神的にもかなり参っていたようだった。心を注いで自分がやりたいと思っていたことが、次々と潰れていく… ここには言葉では書き尽くせないが、本人にとっても親にとっても、切なく辛い期間だった。
そして、忘れもしない12月初旬のある日。いつものようにエミを学校に迎えに行くと、車の中でエミが「I have a good news and a bad news.」と言った。何事かと思ったら、良い知らせというのは、次の学期から、個人研究(independent study)として作曲の学びをすることになったことだった。音楽の先生と一対一で、毎日学校で作曲について学べるというのだ。(この先生は、音楽理論の博士号を持っている。)「素晴らしいじゃない!良かったわねぇ!」私は声を弾ませた。ところが、悪い知らせというのが、「I quit the choir(合唱部を辞めた)」だった。私は言葉が出なかった。エミがクワイヤで悩んでいたことは重々知っていたけれど、だからと言って辞めてしまうなんて。エミは、感情にまかせて決めたことではなく、この1ヶ月あまり、ずっと祈りつつ考えていたことだったと言った。クワイヤを続けることがあまりにも自分の精神衛生に悪く、このままでは本格的に参ってしまうと思ったので、辞める決意をしたのだ、と。
先に「合唱部」と書いたが、アメリカの高校の合唱部は課外活動ではなく、音楽の授業の一環で、成績もつく。だから、クラブを辞めるような調子で辞めることはできない。「クワイヤを辞めたらその時間どうするの?」そう聞くとエミは言った。「代わりに国際関係論を履修するつもりだったんだけど、音楽科の先生たちが、国際関係論などではなく、音楽を続けなさい。作曲で個人研究をすればいい、と言ってくださったの」
エミの話では、朝一番に、クワイヤの先生に辞める旨を伝えに言ったところ、先生は、「そうか、エミもよく考えての決断だろうから、止めないよ」とおっしゃったのだそうだ。(それを聞いたとき、私は内心「先生、止めてよ!」と思った。汗)ところが、一見冷たいかのような先生だったが、彼はただちに音楽科の先生たちを招集し、エミが作曲で個人研究をすることはできないか、話し合ってくださったらしい。そして、オーケストラの顧問の先生が指導を引き受けてくださることになり、その日の午後には、エミは先生たちのところに呼ばれ、そのようなオプションをオファーしてもらったのだそうだ。エミはもちろん、喜んでそれを受け入れた。
これを契機に、小さな作曲家としてのエミの活動が開始した。オケの先生もクワイヤの先生も、エミの作品を快く受け入れ、コンサートで上演させてくれた。人間関係がうまくいかなくて半ば逃げ出すようにして辞めたクワイヤだったけれど、先生は作曲家としてのエミをクワイヤに迎えてくださり、エミはしょっちゅうクワイヤの授業にも顔を出していたらしい。そして高校4年生の冬、イリノイ州の高校生作曲コンテストで、エミが書いた合唱曲が1位になったとき、それを歌ってくれたクワイヤも大喜びし、受賞者たちの発表会には、車で片道3時間かかる道のりをクワイヤ全体がエミと一緒に来てくれて、式典でそれを歌ってくれた。
エミが大学でも作曲を学ぶことにしたのは、こういった経験があればこそだろう。高校三年時の失意の日々が、逆にこうして次のステップに続く扉となった。この体験は、進路のことだけでなく、エミの品性が練られ、信仰が強められる上でもとても貴重なものだったと思う。失望し心潰れる体験というのは、これからも数限りなく通っていくだろうが、その度ごとに、主の善い御心と御手に信頼して忍耐と希望を持つことを思い出し、そこから一歩踏み出してさらに成長していって欲しいと心から願う。それを見守る私も、一緒に成長させてもらえたように思う。感謝。
愛と恵みに満ちた偉大なる主イエスの御名だけが、誉め讃えられますように。