ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

みんの友達のこと

「明日から数日、エマ(仮名)がうちに泊まってもいい?」 みんが夕べ、突然訊いた。
「いいけど、どうして?」
「お母さんから追い出されちゃったんだって」
「いったいどうしたの?」
「エマの両親は離婚していて、エマがお父さんに連絡を取ったら、お母さんが怒っちゃったんだって。エマのお母さんは、前にもエマを里子に出すと言い出して、警察に連絡したこともあるんだって。時々そういうこと言い出すんだって」

 エマというのは、イラン人の女の子で、4人兄弟姉妹の上から二人目。エマはアメリカ生まれだと思うけど、お母さんの英語にはかすかな訛がある。そういえばお父さんを見かけたことがないと思っていたら、シングルマザーだったのか… 一番上のお兄ちゃんは18歳で、私はこの二人を知っているけれど(二人とも演劇部でエミやみんと親しい)、よくしつけられたとても良い子たちだ。

 16歳の子どもを追い出すというのはちょっと問題かもしれないけど、このお母さんは私の憧れの肝っ玉母さん風の女性で、とてもしっかりしていて面倒見もいい人。子どもたちのためにしょっちゅう家を開放し、食事をふるまい、演劇部の子どもたちのたまり場になっている。外国人として、女手一つで4人の子どもを異国で育てるなんて、どれだけ大変だったことだろう。お母さんの側にも、いろいろあるんだろうな… 

 みんな、いろいろあるんだろうな。いろいろ抱えながら一生懸命生きているんだろうな… そんなことを考えると、胸がキュンとなる。
 とはいえ、16歳の子どもには、「お母さんにもいろいろあるのよ」と言ったところで、すぐには納得できないだろうし、子どもの立場からすれば、いくら親にも事情があると言っても、やはり親の仕打ちに傷つくこともあるだろう。

 最近よく思うのだけれど、人間の成長の過程の中で、「親を赦して受け入れる」というのは、ほぼどんな人にとっても、避けられない通り道なのではなかろうか。完璧な親など、絶対にいない。どんな親でも、多かれ少なかれ、何らかの失敗はしたことがあるだろうし、子どもには理解できない親の事情というのも、時にはあるものだ。また、親の側からすれば「失敗」でも「過ち」でもなく、むしろ子どものためを思って意図的に行なっていることでも、子どもの側からしたら、納得のいかない場合もあるだろう。子どもが大人になっていくためには、どこかの時点で、そんな不完全な親(real or perceived)を赦し、受け入れるというステップが不可欠なのではないか… 最近、そんなことを幾度となく考えている。

 エマのお母さんのことは、個人的によく知っているわけではないけれど、これまで何度か話したり、エマやお兄ちゃんを見る限り、とても素晴らしい女性だと思う。思春期のエマとはぶつかり合うこともあるかもしれないけれど、でもきっと乗り越えていけるだろう。一時的に嵐が襲ってくるとき、うちがエマにとってのシェルターになれるなら、喜んで受け入れるよ。エマとエマの家族のために、祈る。

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