ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

複雑な思い

 昨日ケンのクラスで、「敵を殺すことは人道的なことかどうか」というディスカッションをしたのだそうだ。もちろん、アメリカがオサマ・ビン・ラディンを9.11同時多発テロの首謀者として殺害したのを受けてのこと。小学4年生のクラスで、そんな重いテーマで話し合ったのかと、正直、驚いた。発言しない子も大勢いたそうだが、「人道的だ」「非人道的だ」と両方の意見が出たらしい。「ケンはどう思ったの?」と聞くと、「ぼくは、両方だと思った」と言う。「人を殺すことは人道的ではないけれど、テロリストを生かしておいたら、もっと大勢の人が殺されるかもしれない。そういう人を放置するのも人道的だとは思えない」と。多分、両方の意見を聞いて、どちらの言い分ももっともだと思ったのだろう。物事の見方にはいろいろあって、そう簡単には白黒割り切れないこともあるのだということを、子供なりに感じたみたいだ。
 シカゴ時間の日曜日の夜遅く、突然入った「Osama bin Laden is dead」との速報。そしてオバマ大統領の声明。ホワイトハウスやNYCのグラウンド・ゼロには大勢の人たちが集まって、ビン・ラディンの死の知らせ、しかも、アメリカ側が殺害したという知らせに狂喜乱舞となった様子は、日本でも報道されたとおり。
 あれを見たら、アメリカ人って、どんだけ高慢で自己中心的なの?と思うだろうが、日本の皆さんに一言お伝えしておきたいのは、アメリカ人皆が皆、正義の味方気取りであんなふうに大喜びしたわけではないということ。小学校4年生のクラスでも上記のようなディスカッションがなされたように、たとえ相手がテロの首謀者であれ、殺害して海に捨てたというニュースに、心重い気持ちになったアメリカ人も大勢いたと思う。少なくとも私の周囲ではそうだった。私がフォローしているクリスチャンたちのツイートやブログなどでも、「もしもイエスだったら、ビン・ラディンの死の知らせにどのように反応しただろうか?」「汝の敵を愛せよという聖書の教えは、私たちにとって何を意味するのか?」といった問いかけが多くなされていた。みんの友達の高校生にも「Do not rejoice when your enemy falls」という箴言の御言葉(24:17)をフェイスブックに引用している子がいて、みんもそれが心に留ったと言っていた。繰り返すけれど、私の周囲では(意外にも?)そういう姿勢を取っているアメリカ人の方が多かった。あのらんちき騒ぎを見て、違和感を覚えているアメリカ人は少なくなかった。
 ただ、今日になってから、グラウンド・ゼロに集まっている遺族にインタビューしているABCニュースをYouTubeで見て思った。9.11で愛する人を失ってこの10年以上行き場のない痛みの中にあった人たちにとっては、ビン・ラディンの死が、人生の次のステップに進むために必要な「節目」になるのかもしれないと。そう思ったら、「本当の正義とは」とか、正論では簡単に割りきれないものを感じた。
 ほかにもいろいろ思うところがあるのだけれど、性急に言葉にするのでなく、むしろ静まって主の前に出よう…

ホーム日記ミルトスの木かげで(最新)