ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

コメントありがとう!

 ブログの方にも早速アクセスして下さった皆さん、またコメントを残して下さった皆さん、どうもありがとうございました。(^^)心暖まるコメント、そしてお祈りを感謝します。

 さて、4月9日の日記に、Tomokoさんから、「タウンゼント氏が神学校時代にアルバイトしていた時の質問について、今のタウンゼント氏だったら、何と答えるのだろう?」というコメントがありました。

興味深いですよね。私はタウンゼント先生ではないですが、先生の著作やラジオなどでのお働きから、どのように答えるのかある程度想像することはできます。恐らく、次のような感じのことをおっしゃるのではないでしょうか。

 まず、彼が身体的にも感情的にも彼女を傷つけるような言動を続けるのであれば、彼女は自分の身の安全を確保する必要があるでしょう。境界線を明確にして、「今度私を傷つけることをしたら、私は友人の~~さんのところへ行きます」あるいは、「この状態が続くなら、これ以上私はあなたと一緒に暮らしません」などのことを言って、それを実行します。しかしそれをすることは彼女一人では難しいので、誰か彼女をサポートしてくれる人たちを見つける必要があります。(ここで、彼女を教会のスモールグループなどに誘うといいでしょうね。)一方で、彼が依存症から回復できるように、彼のためのサポートグループや専門機関を探すなどの手伝いもすべきでしょう。そして、神さまがこれらのことをするための力と恵みと助けを与えて下さるように一緒に祈りましょう…

 このように相手の破壊的な行動に限界を設け自分の身を守ることは、決して薄情や身勝手ではなく、相手のためにもなる聖書的な行ないであることを彼女に説明して、優しく、力強く、励ますことでしょう。セミナーでも先生は繰り返しおっしゃっていましたが、私たちは相手を愛するがゆえにと思いつつ、結果的には相手のためにならない行動を取ってしまいがちなんですよね。「痛みはそれがもたらす実によって評価せよ。」境界線を引いて限界を設けることや、相手に自分の言動の結果を負わせることは、一時的に相手に(また自分にも)痛みをもたらすことが多いですが、痛みがあるからといってそれが悪いことだというわけではありません。(歯医者さんに行って虫歯の治療を受けることは痛みが伴いますが、それがもたらす実は良いものです!)ただ往々にして、私たちはその痛みに耐える強さや勇気を一人では持てないので、安全な仲間たちが側に付き添って祈りと共に支援してあげる必要があるわけです。

 すでに何度か言及したNew Life Live! というカウンセリングのラジオ番組では、まさにこういった日常生活からの質問がリスナーから毎日寄せられています。それに対するタウンゼント先生たちの回答はいつも明快で、もちろん聖書的で、納得がいって、かつ暖かく励まされるものです。オンラインで聴けますので、英語が大丈夫な方は是非聴いてみてください。

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