ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい

ご主人が某有名大学の物理学教授をしてらっしゃるFさんから、先日のぼぼるパパの進化論対IDの記事に対して次のようなメールをいただいた。(Fさん、掲載許可、ありがとう!)

ところで、ぼぼるさんの進化論とIDに関する日記、とても嬉しく拝見しました。 そうなんです。 主人が信仰をもつのにいつも立ちふさがる科学者=進化論者=無神論者、というレッテルを貼る教会からの圧力。 主人はぼぼるさんと同じように、この世にデザイナーがいる、ことは信じているのですが、それがキリスト教の言う神であることは、教会からの、まさにこの攻撃ゆえに、最終的に信じることを拒否するのです。 今までわたしがいたどの教会も、結局牧師がIDの立場から攻めてくるので、怒ってしまうのですね。 でも、ぼぼるさんの憤りが主人のと同じだと感じて、神様は科学者の神様でもあることを本当に嬉しく思いました。 この立場がもっと広がますように、私も少しでも、ぼぼるさんのように答えられるよう、勉強したいです。

クリスチャンではない人と創造論対進化論みたいな話をする時、クリスチャンは何とかして相手を論駁しようと躍起になる傾向があるようだけれど、自分の信仰や信念をいくらゴリ押しても、絶対に相手の心に触れることなんかできないと思う。 サイエンスを真剣にやっている人、サイエンスに深く興味を持っている人の中には、心のどこかでなんらかの創造主を意識している人が少なくないのではないだろうか。(もちろん、無神論者だって確かにいるだろうけれど。)それなのにクリスチャンが、「進化論を信じている? ではあなたの世界観は神を認めない非常に虚しいものですね」と勝手に決めつけたり、果てはサイエンティストを不誠実な嘘つき呼ばわりするなら、相手はすっかり興ざめして、信じたいものも信じる気を失ってしまうのではないか。彼らが創造主としての聖書の神に到達できる時が来るとしたら、それは恐らく「科学的証拠」や議論によるものではなく、クリスチャンたちのキリストに似た品性や愛を通してなのではないかと思う。あるいは彼らの誠実な科学的探求を通して、神御自身が彼らに語り、御自身を現してくださることだってあるだろう。

議論がすべて無駄だとは思わないし、クリスチャンから聖書に根ざして筋道だった説明を聞きたいと思う人たちだって当然いるだろうから、創造について(あるいは他のトピックでも)聖書は何と語っているのか、自分なりにきちんと説明できるようでありたいとは思う。ただ、ペテロも「優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい」(第一ペテロ3:16)と言っているように、知ったかぶりしたり、高慢な態度を取るようなことはしたくない。

ともあれ、Fさんのご主人が、一日も早く聖書の神を受け入れることができますことを、お祈りします。

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