『アダムの沈黙』
JCFNの下部祐子主事のミクシィの日記より。とても感じ入るものがあったので、許可をいただき、ここに丸ごと転載させていただきます。
===
エバがサタンに誘惑され、禁断の実を食べたとき、どうしてそばにいたアダムは、沈黙していたのか。
この本は、アダムの「沈黙」というテーマから、男性が神様から与えられた使命とその使命をまっとうしなかったときに起こってしまった世界の悲劇について、そして、そこからの回復について、述べられた本である。
この本によると、神は男性に、自らのご性質を与えられた。それは、「混沌とした暗闇」にことばを発し、秩序を与える、ということである。まさに、「光よ、あれ。」と言って、無からを有を生み出す、神の性質である。
男のはじめの仕事は、動物に名前をつけることだった。
しかし男は、自分が手に負えない状況に陥ったとき、そして、ルールも指導も何もないところに自分が立たされたとき、不確かな暗闇の中で一歩を踏み出すことをやめ、代わりに「沈黙」してしまった。そして、「沈黙」の結果として、怒りや性欲へとそのはけ口を求めるようになった。
「沈黙」する男は二つの大きなタイプに分けることができるらしい。
一つ目のタイプは、「タフな男」である。自分自身ですべてを抱え、家族や友人にも自分の弱さや悩みを決して見せない。コントロールできる仕事や物に没頭し、成果を発揮するが、自分のコントロールできない人との関係においては沈黙してしまう。妻に、「この人は私なんか必要じゃないのね。」と言わせるタイプ。
二つ目のタイプは、「自分の満足のために、他人を使う男」である。自分の弱さをシェアするが、いつでも自分中心である。自分が弱い時に愛情を確認した、という経験から、いつも相手から何かをしてもらうことを求める。自分も尽くすが、「どうしてこんなにしてあげているのに、愛してくれないんだ。」と責める。そして、肝心な時に「沈黙」し、逃げる。妻に、「私にはこの人を満足させることはできない。」と思わせるタイプ。
男は誰でも、この両極をもった線上のどこかに位置する、とこの本には書いてある。そして、この線上で完璧なバランスを保ち、人の弱さに対してとことん繊細でありながら、大きなビジョンのために進むことのできる勇気を持った人、それが第2のアダム「イエス・キリスト」である、と。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
この本を読んで、何が良かった、というと、希望があったことがとてもよかった。
「男はみんなウルトラマン」とか、「話を聞かない男」とかの本を読むたびに、正直、あきらめモードというか、男はこうなんだから、仕方がないでしょう、みたいな空気があって、内心ため息をつかざるを得なかった。
でも、この本は、男の持つ弱さや「沈黙」に逃げ込む卑怯さを自覚しつつも、それを直視する勇気と、そこから一歩を踏み出す男となっていく、勇気と決断を伺うことができる。著者たちの正直な証と共に、神様に従う姿にとても励まされ、そして、「沈黙」に打ち勝って戦う男性たちを心から応援したい、助けていきたい、と思わせてくれた。
男性諸君、ぜひこの本を読んでほしい。そして、神様が与えてくださった使命を果たすために、勇気をもって、「沈黙」を打ち破り、立ち上がってほしい。
そして、女性も。ぜひこの本を読んで励まされてほしい。男性の葛藤を知り、そして、「沈黙」を破るために一歩を踏み出したい、と願う男性を助けていってほしい。
ちなみに、この本を薦めてくれたのは、本を訳した山中知義氏自身である。彼は、横浜オンヌリ教会の牧師、JCFNのメンバーで、記念すべき第一回目ec、EC97からの仲間である。
訳者あとがきの中で彼自身が通った過去の過ちと回復について短く証をしている。丁度99年、大阪JCFNを彼と一緒に立ち上げたときは、まさにこのプロセスの真っ最中だったことを思い出した。彼が、この本を通して、大きな励ましを受け、もう一度上がり、神の働き人として立ち上がっている姿を今見ることができて、本当にうれしく思う。
ECやLAでも、ぜひ野郎会でこの本、読んでください。
「アダムの沈黙」ラリー・クラブ著、山中知義訳(いのちのことば社2005)
"The Silence of Adam~Becoming Men of Courage in a World of Chaos" Larry Clabb (Zondervan 1998)
===
ちなみに、ぼぼるパパも、原書が出版されたばかりの頃にこの本を買って読んでいました。そのせいかわかりませんが、私がヘマをやってパニックして収拾がつかなくなっているような時には、いつも力強く介入して、私の心と生活に秩序を取り戻してくれます。