ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

月曜日のこと

 
  月曜日、同じ教会のある姉妹の家に行って、二人でとても良い交わりをすることができた。それぞれの教会生活や結婚生活、生い立ちなどについて、今までしたことがないような深いレベルでの分かち合いができた。(ティッシュの箱を二人の間に置いて。 笑)

 彼女はうちの教会の子供ミニストリーを一手に担っているとても有能で敬虔で勤勉な女性で、ご主人も教会役員をしている。彼女が分かち合ってくれたことにはいろいろ心に響くことがあったのだが、中でも印象的だったのは、彼女とご主人との関係についてだった。私は彼女の結婚の証しを以前聞いたことがあった。二人共、互いに出会うまでは誰とも男女交際をしたことはなく、結婚までは自分を清く保つと決心していた。そして彼女が23歳の夏、クリスチャンのキャンプ場でアルバイトをしていた時に彼と出会い、一目で恋に落ちた。3週間後には婚約、数ヶ月後には結婚という、絵に描いたようなクリスチャンのロマンスで、なんて素晴らしいのだろうと思っていた。ところが、月曜日に彼女が話してくれたことによると、結婚して間もなく、夫はとても無愛想で、コミュニケーションや愛情表現が非常に下手であることがわかったのだそうだ。そして彼女は、他の男性に対してvulnerable、つまり心惹かれ易くなっている自分に気がついた。彼女は分別があるので実際にそのような罪に陥ったわけではないけれど、その代わり、一人でロマンス小説や恋愛映画に耽るようになった。小説や映画の中のロマンチックな愛情関係を見るたびに、「私にはこんな愛情を経験することは絶対にない、このまま一生ないのだ」と思っては泣いたそうだ。何と言う孤独感だろう。でも、ある時、こんなことに浸っていてはいけないと気づき、小説も映画も全部処分したと言う。

 こうして書きながらも、彼女の心の痛みを思うと涙が出てくる。彼女は言った。「でもね、回りを見渡してみると、誰も私が夢に思い描いているような、理想的な結婚生活を送っている夫婦なんていないのよ。私の両親も、夫の両親も、夫の姉夫妻も… いつまでも手にすることのできない理想を思って泣くよりも、これが私の現実なんだから、現実の彼を愛することを学び、現実の中で満足することを学ばないといけないのよね。」 まったくその通りと思う反面、本当にそれでいいのだろうか、という気もした。自分の理想ではなく現実を受け入れることはもちろん大切だけれど、一方、その「現実」が、神さまの意図された姿からはずれている場合もあると思う。そんな場合には、どうしたらいいのだろう?

 また、彼女のご主人は仕事で最近ちょっとした事件があり、顧客に大迷惑をかけるという事態になったそうだ。それでここ五週間ばかりその後始末に追われ、毎日帰宅は夜中近くで、帰って来るといつも非常に不機嫌、彼女とは口も聞かないまま寝室に直行だという。私が、「そんな事件の後では仕方がないよ、この状態がいつまでも続く訳じゃないんだし」と言うと、「それはそうなんだけど、それでも、彼には夫として、妻である私に対して、もっと愛情とリスペクトを持って接する責任があると思うの」と彼女。うんうん、本当にそうだよね。

 普段、教会で顔をあわせているだけでは全く知ることのできなかった彼女の痛みや葛藤を知ることができて、本当によかったと思う。私ももっと彼女のために具体的に祈れるし、彼女の精神的重荷を共に負うことができる。彼女との会話を通して、また自分自身の経験も通して、外側からみると何の傷もなく、絶好調に見える人たちでも、内側では崩れ落ちる寸前なのかもしれないとつくづく思わされた。彼女が正直な思いをいろいろ分かち合ってくれたことを本当に感謝した。彼女のことばかり書いたけれど、私もまた、自分の中で起きている様々なことについて分かち合った。彼女はそれについていろんな洞察や知恵、愛と恵みと受容を差し出してくれた。そこには何とも言えない解放感と喜びがあった。「God is not through with you. 希望を捨てないで。私も祈るから。」私を抱きしめながらそう言ってくれた彼女の声が耳に残っている。彼女のハグと言葉を通して、神さま御自身が語ってくださっているのを感じた。

 互いに慰め合い(第一テサロニケ4:18)、互いに励まし合い、互いに徳を高め合い(第一テサロニケ5:11)、互いに罪を言い表わし、互いのために祈り合い(ヤコブ5:16)、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め(コロサイ3:16)、何より、互いに心から熱く愛し合う(ローマ12:10、第一ペテロ1:22、第一ヨハネ4:7etc.)…  聖書に書かれていることを関係の中で実践する時、自分自身やその関係の中に主の力と愛が注がれるのを感じる。主は素晴らしい。主は確かに生きて働いておられる。

The LORD God said, "It is not good for the man to be alone."(創世記2:18)

Two are better than one,
because they have a good return for their work:
If one falls down,
his friend can help him up.
But pity the man who falls
and has no one to help him up!
Also, if two lie down together, they will keep warm.
But how can one keep warm alone?
Though one may be overpowered,
two can defend themselves.
A cord of three strands is not quickly broken.(伝道者の書4:9−12)

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