ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

人の受ける分

 JCFNの聖書通読が伝道者の書に入った。今日は1〜5章を読んで、いくつか思わされたことの中から少し。

見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。(5章18−20節)

 
 4年くらい前、子宮頸癌の定期検診でアブノーマルな結果が出て、いくつかさらなる検査を繰り返したことがあった。当時ケンスケはまだ1歳なのに、ガンだったらどうしようと不安に襲われた時、主が5章18節から「神がその人に許されるいのちの日数の間」という箇所を示してくださった。

 そうだ! 私のいのちの日数は、主の主権のもとにあるんだ! 病ではなく、サタンではなく、医療の限界でもなく、私の「運命」でもなく、ただ唯一、主が私のいのちの日数を決める権威を持っておられるんだ!!と分かった。 そしたら恐れも不安も、一気に消えてなくなった。ものすごい解放感だった。

 その後も半年ごとに検査を繰り返し、結局完全にクリアな結果が出るまで3年かかったけど、その間まったく不安を覚えることなく過ごせ、今もこうして生かされていることは本当に感謝。

 すべての労苦のうちにしあわせを見つけて、食べたり飲んだりという何の変哲もない日常生活を素直に楽しむこと。もっと幸せにならなくちゃ、何かを成し遂げなくちゃとあせることもない。 (平静の祈りにも通じるね!)

 主婦の毎日は同じことの繰り返しで、料理しては食べ、洗濯しては汚し、片づけては散らかし… 延々と続くいたちごっこ。一日が終わった時、「私はきょうはこれを成し遂げた!」と言えることが何も思いつかない日もままある。だけどそんな日常の中にもしあわせを見つけて、家族と笑いながら、一日一日が過ぎていって… ああ、それでいいんだぁと思えるほど感謝なことはないかもしれない。これは神の賜物。私たちが受ける分。主よ、感謝します。

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