夕べの集会
夕べのシカゴVIP Clubの集会は、とても祝された楽しいものでした。お祈りに覚えてくださった方、そして実際に来てくださった方、どうもありがとうございました!
話の内容は、昨年3月のバウンダリーセミナーの3日めにタウンゼント先生が「境界線の引き方」というタイトルでお話されたことに、基本的に準拠させました。アウトラインは以下の通り。
- 「実」を評価する(自分の生活の中でどこに問題が出ているのかを知る)
- キリストの身体の中でつながりを築く
- 問題の背後にある「真の問題」、満たされていない自分のニーズを見極める
- 愛されたい、人として尊重されたい、恐れや束縛から自由になりたい…など
- 神と神の家族から善いものを受け取る
- 執着していたものを手放し、悲しむ
- 過去に自分を傷つけた人たちを赦す
- 自分の問題を自分のものとして所有する
- 悪いものにノーと言う(具体的に境界線を引き始める)
- 自分を愛してくれている安全な人たちとの間で、小さな「ノー」から始める。
- 失敗する
- 初めのステップに戻る
(この中の4〜6のステップは、順不同かもしれません。)
テーマ聖句には、出エジプト23章30、31節を選びました。
あなたがたがふえ広がって、この地を相続地とするようになるまで、わたしは徐々に彼らをあなたの前から追い払おう。… その地に住んでいる者たちをわたしがあなたの手に渡し、あなたが彼らをあなたの前から追い払うからである。(下線はちこ)
神さまは、私たちの状況・状態をご覧になりつつ、最適のスピード、最適の順番で「徐々に」問題を取り扱ってくださる。そしてそのお取り扱いは、神さまに委ねていれば神さまが自動的に全て肩代わりしてくださるというものではなく、神さまの主導のもと、私たちも共に戦わなくてはならないものである、ということ…
一時間で話すにはちょっと盛りだくさんだったけれど、夕べ集まってくださった方たちとの集会中、集会後のやり取りを通して、みなさんそれぞれに、いろいろな気づきが与えられたことがわかり、私もとても感謝だった。また、14年あまりシカゴ近郊に住んでいて、初めてデボン教会の佐藤敬先生にお目にかかることができたのも嬉しかった。先生も最後に、牧師であっても、ただ「神と自分」の関係だけでなく、横のつながりを必要としていることなどをみなさんの前で分かち合ってくださり、とても励まされた。
皆さんからいろいろ印象に残るお話を伺ったのだけれど、そのうちの一人の方について、少しだけ…
この方は、3年前にとても辛い裏切りと喪失を経験なさった。そしてこの3年間、ずっとその痛みと恨みにしばられてきた。集会後、どういうことが起きたのかを分かち合ってくださり、私はただ、「うんうん」と聞いていただけだったのだが、話しているうちに聖霊が彼の心に触れ、主がこの3年の間に彼の中でなさってくださった御業へと彼の目が開かれていくのがわかり、私は心の中で主を讃えた。初めのうちは、辛かったこと、悔しかったこと、痛みがどうしても戻ってきてしまうことなどについて話しておられたのが(痛みを紛らわすためか、気が付いたら3年で13本ものギターを買い集めていたのだとか!)、そのうち、これまでにいろんな人を通して主が彼を励ましてくださっていた事実に彼の目が向いて行くのがわかった。自分に危害を加える人に対して境界線を引く事、悲しみをありのままに表現する事、自分を愛し受け入れてくれる人たちとつながること…神さまはこういった事柄について、ちゃんと彼を導き、教えてくださっていた。最後には彼はこのようなことを言われた。「僕は、幸せなんですね。教会や、会社の仲間たちに愛されて… 教会の奉仕もいろいろやらせてもらっていますが、負担にならないんですよ。(自分の胸を押さえながら)癒されつつあるんですね、僕は。この幸せを掴んで前進するためには、握りしめていたものから、手を放さなくちゃいけないんですね…」
今、彼の周りには、同様の痛みや喪失を経験した人たちが大勢いるのだそうだ。中には彼よりもっと悲惨な状況にいる人もいるらしい。神さまは、この方を痛みから癒すだけでなく、同様の痛みや喪失を体験している人たちに慰めを差し出すことのできる人として、きっとこれから大いに用いられることになると思う。
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(第二コリント1:4)
憐れみと恵みに満ちた、大いなる主、救い主イエス・キリストの御名を誉め讃えます。