He gives and takes away, and gives back again...
去年の秋から冬にかけて、私にとって大切だったものをいくつか手放した。(それが何かとか、その経緯や理由は、とても個人的なことなのでここには書かないけれど。)今振り返ってみて、その時手放したことのすべてが、本当に主の御心だったのかはわからない。それでも、主が私の決意と選択を尊重してくださったのは感じた。
胃がねじれるような葛藤と痛みと、主からのたくさんの慰めと、それでもしつこく襲ってくる悲しみと、それにも勝る朝ごとに新しい主のあわれみと慈しみと…
そして今年の春頃、私が手放したものの一つを、主は思いがけず返してくださった。それを受け取っていいのか、本当に受け取りたいのか、迷いもあったが、そこに主のチャレンジを感じた。力強く、激しく、でも優しく、深いご配慮に満ちて。このお方がいつもそうであるように。
ああ、主は。本当に、主というお方は。確かに生きておられる。ここにおられる。私をご覧になっておられる。私を、知っておられる。
「わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した(ゼカリヤ1:14)」とおっしゃる方の、その愛が痛い。主よ、あなたのその愛に、思うように応えることのできない私をお赦しください。あなたの忍耐を感謝します…