ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

エヴリン

 
 昨日は、私の友人エヴリンの召天式だった。友人といっても、91歳、1914年生まれのおばあちゃんだが。とてもそんな高齢とは思えないほどいつも元気で,いくつになってもレースの襟にピンクの花柄のワンピースが似合う、魅力的なおばあちゃんだった。エヴリンと私は、プレヤーチェーン(教会に入る祈りの課題を、電話で連絡網のように次々回して祈る)で順番が隣同士で、私はしょっちゅうエヴリンに電話をしていた。
 エヴリンは若い頃から、宣教師の働きを祈りで支えることに重荷があって、教会の他の女性達とともに祈っていた。この教会では数十人の宣教師や宣教団体をサポートしているが、エヴリンたちはその一人ひとりの宣教師や家族の誕生日、結婚記念日、クリスマス、復活祭などに毎年カードや手紙を送っていた。一時帰国中の宣教師さんが宣教報告のためにうちの教会に訪れると、みんな必ずと言っていいほど、「エヴリンはいますか? デイジーは? マーガレットは? ルースは?(おばあちゃんたちの名前)」と尋ね、「いつもいつも私たちの大切な日を覚え、カードや手紙を送ってくれてありがとう」と言うのだった。昨日も、まだ元気なデイジー(91歳)やルース(80代後半)と久しぶりにゆっくり話をしたが、「私たちはこれを60年間一緒に続けてきたんですよ」と言うのを聞き、改めて彼女たちの忠実さと宣教への情熱、主への愛に心を打たれた。箴言31章の女性とは、まさに彼女たちのような人のことだと思った。
 棺に横たわるエヴリンは、いつものように赤いワンピースを着て、うっすらとお化粧をし、花に囲まれたその穏やかで美しい顔は、お世辞抜きでまるで「眠れる森の美女」のようだと思った。

彼女は力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ。(箴言31:25)


 エヴリンはまさにそういう人生を送ったのだと思う。そしてほほえみながら後の日を過ごし、ほほえみながら主のもとへ帰って行った。

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