ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

追記

 夕飯の支度をしながら、上記のメッセージを反芻していた。その中で、私は自分で思っていたほど、まだ4の段階にははいっておらず、むしろ2の段階で適用するルールや原則の種類が変わったにすぎなかっただけかもしれない、ということに気づかされた。たとえば、「境界線」の原則など、その良い例かもしれない。「コミュニティーの大切さ」しかり。今まで教えられていたルールや原則の他に、こういう原則もあると知り、今の私は夢中になってそれを体得しようとしている。境界線を適用することによって、多くの良い変化が見られるようになったけれど、これもまたhow to に走るなら、神様や他者との関係抜きの、いのちのないただの原則になってしまうのだろう。常に神と他者との関係の中で、自分の信仰のあり方を確認していたい。高橋先生がおっしゃる、神様の視点からの信仰へと成長させられるために。
 こうやって、1〜4の段階を行き来しつつ、神様が私たちに教え、得させようとしてくださっているものを、一つずつ得させていただくのだろうな。そして本当に得させていただいた時には、自分では「私は得た!」などとそれほど意識しないものなのかもしれない。
 そういえば、ちょっと余談になるけど、今日のうちの教会でのメッセージの中では、人間には次の4種類の人がいる、という話があった。

  1. People who know that they know
  2. People who think that they know
  3. People who know that they don't know
  4. People who don't know that they know

 1番目は、多くの知識などを持っていて、自分でもそのことをわかっているし、まわりの人もわかっていて、リーダー的な立場にいる人。
 2番目は、自分では何でもわかっていると思っているけれど、実はまだまだわかっていない人(たとえばティーンとか。大人もだけど。)
 3番目は、自分はまだまだ何もわかっちゃいないとわかっている人。(願わくば、多くの大人にはそうであって欲しい?)
 4番目は、実はわかっているのだけれど、自分では自分がわかっているということに気づいていない(意識していない)人。聖書はそういう人を「Meek(柔和な者)」と呼ぶ…


 ああ、はずかしい、はずかしい。本当にへりくだらされる。ガツンときたし、赤面してしまったけれど、でも何とも言えないsweetな喜びも感じた。主と共に歩ませていただく成長の旅路。気長にいこう。

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