ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

かきごおり先生のブログ

 私がいつも読ませていただいているブログは、実はそう多くはない。かきごおり先生のブログは、読ませていただいている少ないブログのうちの一つ。先生のブログに、今朝、とても心を掴まれることが書いてあったので、メモ。

今日の夜は一つ集会があって、「伝道の書」というのを読んだのですが、
先月は「箴言」を読んで、今月はこの「伝道の書」を読んで、
この二つの書物の性格はずいぶん違うのですが、
中心的なメッセージは一つで、
神様を恐れて、神様からの知恵をもらいなさい、
ということでした。


それを学んでいる中で、
自分の傲慢さを感じ、
いかに自分が、この「神様からの知恵」を求めていなかったか、
「もう知っている、わかっている」という気持ちをもってきたかを、
聖霊様に示されて、悔い改めに導かれました。


そこそこ「お勉強」はできて、
牧師の家庭で育って、ある程度「教会のことも知っている」し、
日本の聖書学院で学び、
アメリカの神学校や、大学の大学院で勉強して、
いろんな知識があるつもりになっていました。
でも、本当に心から祈って、「あなたからの知恵を与えてください」と祈ってきただろうか、
あのソロモンのように、「私は人々をどう導いていったらいいか、わかりません。どうか、あなたの知恵を与えてください」と祈ったことがあっただろうか、と思わされたのです。


そして、本当に自分が神様の知恵を頂いてこなかったことが、
教会の皆さんに対して、また今までであった方々に対して、
申し訳ない、と思いました。


祈ります。
主よあなたの知恵を私に与えてください。
あなたの知恵なしには、私の生涯はむなしいのです。

ニュージャージーお天気牧師 日々の祈り より)

 私もまた傲慢な者で、ろくに神様の知恵を求めずにきていたことを思わされた。そして特に心にズシンときたのは、先生が、「自分が神様の知恵を頂いてこなかったことが、教会の皆さんに対して、また今までであった方々に対して、申し訳ない」と思われたという箇所。教会の方たちに対してだけでなく、「今までであった方々に対して」申し訳ないとおっしゃる先生の言葉に、キリスト者として、私たちが互いに負い合っている責任を思わされた。最近、交わりの中で、自分のちっぽけな知恵で対応してしまっていたかもと思わされることがいくつか続いていたので、特にこのことにハッとさせられた。神様は、主から与えられる知恵を通して、私が他の人たちに仕えることができるようにとご計画しておられるのに、私が神様の知恵を求めないならば、そのようにすることができないのだ。同様に、私が他の人と交わるとき、その人が神からの知恵を求めていないなら、その人は私に対して神様がご計画しておられた務めをなすことができない… 私たちが神の知恵を求めないということは、自分にとってよくないだけでなく、神のコミュニティーの中で、互いに対する神のご計画を損ない、神様のいのちの水の流れをせき止めることになる… 

 いや、私の書き方はどうも小難しくてよくない。聖霊様が先生を通して語っておられること、示しておられることを、余計な言葉で解説せず、ただ私も心を開いて、ただただ心のうちで語っていただこう。そして、先生のように祈ろう。

主よ、あなたの知恵を私に与えてください。
あなたの知恵なしには、私の生涯もむなしいのです。

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