ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

お酒について

 タロウさんから、クリスチャンの飲酒についてご質問をいただきました。コメント欄にお返事をしたのですが、こちらにもちょっと加筆して転載します。



タロウ 2009/08/24 06:58
唐突なんですが、ひとつご質問があります。
はちこさんは、お酒飲まれますか。
また、クリスチャンがお酒を飲むことについて
どう思いますか。
僕が以前、行っていた教会では、
お酒をのんではいけないということはなかったですが
教会で行われる行事でお酒がでたことはなかったし、
同年代の集いなどでも、「僕はお酒は飲まない」と
言う人が多かったのですが、
はちこさんの教会などでは、どういう感じでしょうか。
やはり、クリスチャンはお酒は出来れば飲まないほうがよいと
いった感じがあるのでしょうか。
くだらない質問で恐縮ですが、
お暇なときにで結構ですので、お答えいただければ
幸いに存じます。


はちこ 2009/08/24 08:38
 タロウさん、
 クリスチャンとお酒については、私もいろいろ考えさせられてきました。日本で行っていた教会でも、アメリカで4年くらい前まで行っていた教会でも、クリスチャンはお酒を飲まないのが当然、という雰囲気でした。私は14歳でクリスチャンになったので、そういうものだと思って育ちました。たまたま私の母も、主人の実家も、信仰とは関係のない理由でお酒を飲まない人たちだったので、そもそもお酒を飲む習慣とは無縁でしたし。(といっても、学生時代に一時教会を離れていた時期があり、その頃にはかなり飲んでいましたが。父が酒豪なので、その血を引いているのか、お酒は強い方です。味は好きじゃないのですが。ちなみに、子どもの頃、私の両親は別居しており、私は母のもとにいました。)

 今行っている教会では、アルコール依存症から回復しようとしている人とその家族が大勢来ておられますし、教会の集まりでお酒が出ることはないですね。でも、プライベートではお酒をたしなむ人たちもいるかもしれません。一方、私がイギリスで通っていた教会では、毎週聖餐式で本物の赤ワインが使われていました。教会で開かれるお母さんの会でも、皆でワインを飲みながら、というのがありました。ヨーロッパの教会では珍しくないみたいです。クリスチャンはお酒はダメ、というのは、文化的要素が強いのではないでしょうか。アメリカでは、依存症や飲酒運転による事故などの深刻な問題から、クリスチャンたちがあえてお酒を控えるようになったという経緯があるようです。(詳しいことは知りませんが。)それは納得のいくことであり、賢明だと思います。ただ、良い理由によって自制で控えていたものが、いつの間にか律法主義的になり、互いを縛り合うようになると、今度は別の弊害が出るように思います。

 かつては私も、クリスチャンだからお酒は一切飲まない、という信念を持っていました。でも今では、信仰とは関係なしに、単にお酒には興味がないので飲まない、という程度です。カフェインが苦手だから、味が嫌いだから、コーヒーは飲まない、という人と同じでしょうか。信仰上の理由でコーヒーは飲まないというクリスチャンも知っていますが、人それぞれの確信の問題なので、かまわないと思います。(信仰とは関係なしに、と言っても、あえてこういうスタンスを保つことが、私の信仰から出ているのかもしれないと、書きながらふと思いました。)

 うちは主人が体質的にお酒を受け付けない人なので、お晩酌というものもしないし、お酒を飲まなくても何の不都合もありません。しかし、お客さんがお土産にワインを持ってきてくれたりした場合は、感謝を込めて、一緒に味わわさせていただきます。またお酒好きとわかっているお客さんをお招きするときは、ビールやワインを買っておもてなしさせていただきます。お祝いの席で、シャンペンで乾杯という時にも、喜んで参加します。(もっとも、お酒に対する私のスタンスが変わったのは、この10年くらいのことですが。笑)クリスチャンであるなしにかかわらず、問題は自制の利かないお酒の飲み方になってしまうことだと思います。そしてそれは、お酒に限ったことだけではないのでしょうね。

 数年前、日本に帰国していた折、父のところに親戚や友人が大勢集まったことがありました。お客さんがお帰りになったあとも、ほろ酔い加減で上機嫌だった父は、お酒は全く飲めない私の夫に、「昇くんもどうかね、この酒はうまいよ」と日本酒を勧めました。父は夫がお酒を飲めないことは知っているので、普段は勧めないのですが、そのときはすでに酔っぱらっていたので忘れたのだと思います。でも主人は、ニコニコしながら、「はっ、ではいただきます」とお酒をついでもらい、上機嫌の父のおしゃべりにずっとつき合ってくれました。私は二人の様子を見て、心が感謝と喜びに満たされました。聖書は、「食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」と言います。主人はそのとき、父のお酒につき合うことで、イエスの愛と受容を父に対して現していたと思いました。

 飲酒にかかわらず、何事でも、「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです」 (マタイ22:30)というイエスの言葉が私の行動原理となりますようにと、祈らされます。

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