ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

ケンの受洗

 今日、ケンが洗礼を受けた。ほんのちょっとだけ予期していたけれど、ほとんど予想外だったので、やっぱり驚いた。でも心は感謝で一杯。

 うちの教会では、2年に一回くらい、洗礼の学びに関するメッセージをする。どういう人が洗礼を受けるのか、なぜ浸水による洗礼なのか、それにはどういう意味があるのか、などなど。(約3年半前の洗礼メッセージのときにはこんなことが。すごいです。)そして、この過去数年は、毎年300人強の人が受洗している。

 今週末の礼拝は、洗礼の学びに関するメッセージの週だった。先週アナウンスがあって、受洗希望者は申し出ておいてくださいと言われていた。
 そしてパスターの意向で、今週末はキッズチャーチも中高生礼拝もなく、全員が大人の礼拝に合流して、洗礼についてのメッセージを聞いた。そして、メッセージの直後、すぐに洗礼式が行われた。礼拝堂には洗礼槽が常設されているのだが、今日はそれ以外にも、直径2メートルぐらいの巨大ドラム缶のような洗礼槽が二つ用意された。
 そして、もともと申し出て洗礼を受ける予定だった人以外でも、礼拝の最中に受洗の決心をした人は、その場ですぐに前に出てきて受洗できるようになっていた。(厳密には、会堂の後部に設置されたブースに行って、決心カードに記入して、それから前に出て列に並んで受洗、という流れ。)

 夕べの二つの礼拝では、合わせて180人の人が受洗したそうだ。(その中には、殺人罪で30年間服役して、数年前に出所し、うちの教会に来るようになっていた人もいた。)
 今朝も、受洗式が始まって、大勢の人がどんどん前に出て行っていた。ケンは他の人たちが洗礼を受けるのをじっと見ていた。

 実は、私はま〜やが受洗に導かれるように祈っていた。ま〜やは1年半前に4週間にわたる子供向けの洗礼の学び会を受講して以来、「私は洗礼はまだ」とはっきり意思表示をするようになっていた。それは彼女が洗礼の意味をはっきり理解し、自分に照らし合わせて考えている証拠だから、良いことだと思ってそっとしていた。でも、中学生になってから積極的に中学生礼拝に参加するようになっていたので、もうそろそろかなぁと期待していたのだ。

 ケンについては、多分彼はreadyだなということは、うすうす感じていた。はっきりと学び会などに出たことはなかったけれど、彼が8歳なりの信仰を持って、イエス様を救い主として、自分の主として受け入れていることはわかっていた。でも、洗礼というのは重要なことだし、本人が自分から言い出すまでは、慌てることもあるまいと思っていた。

 そして、もしかしたら今日、ケンが受洗したいと言い出すかもしれないという予感も少しはあった。しかし、実は今日は、礼拝の直後に私たち家族は予定が入っていた。それに遅れると困るので、礼拝が終わったらすぐに教会を後にするつもりだった。そういう事情もあって、親の方から今日ケンに洗礼を勧めるつもりはなかった。来年1月にもう一度子供向けの洗礼学び会があるので、その時でもいいと思っていた。

 でもケンは、礼拝の最中も他の人たちの証やメッセージをじっと聞いていた。そして、洗礼式が始まって、人々が、ある人は泣きながら、ある人は歓声をあげながら水に浸され、もう一度起き上がってくる様子を、じっと見ていた。夫婦揃って、また親子揃って受洗する人たちもいた。三つの洗礼槽が交互にラージスクリーンに映し出され、一人が洗礼を受けるたびに、会衆からは拍手がわき上がった。
 ケンはその様子を見ながら、だんだんソワソワし始めた。「ボクも、洗礼受けようかな、どうしようかな…」
 私はといえば、正直なところ、複雑な思いだった。一つは、礼拝後の用事に遅れたら困るということ、そして何より、こんなに急に受洗させていいのか?という思いもあった。その一方で、ケンが恐らくreadyであるのもわかっていた。ケンが本当に自分から決心するなら、止めるわけにはいかないと思っていた。
 「ケンが洗礼受けたいなら、今日受けることができるし、まだはっきりわからないなら、慌てて決めなくてもいいのよ」私は言った。
 ケンはま〜やに向かって言った。「ま〜やは? ま〜やが受けるならボクも受けるよ!」「私はまだ受けない!」とま〜や。「まだ受けたくないの?」と私。「今はまだ!」なぜかきっぱり言い張るま〜や。 
 私たちはそのまま讃美を続けながら、洗礼を受ける人たちの様子を見ていた。しばらくして時計をチラリと見て、そろそろ出発した方がいいかなと思ったとき、ケンが言った。「ボク、洗礼を受ける。I want to be baptized.」「ほんと? 洗礼を受けるって、どういう意味だかわかってるの? わかってて受けたいの?」「わかってるよ。イエス様を救い主として受け入れていて、自分の人生を神様に捧げますっていうことでしょう? わかってるよ。洗礼を受けたい」
 そう言われたら、今日は忙しいからまた今度にしましょうとか、あなたはまだ子供だから早いわよ、なんて、とても言えない。ぼぼるパパと顔を見合わせ、パパはうなづくとケンの手を取って立ち上がった。そしてケンは上に着ていたスウェットシャツと靴を脱いで、パパと一緒に会堂後方の決心カードブースに向かった。
 「ま〜やは?」しつこく尋ねる私。彼女はもう一度首を横に振った。「じゃあ、ここでちょっと待っててね」ま〜やを後に残し、私もパパたちの後を追った。そして、決心カードに記入してから、列に並んだ。並びながら、カメラを持って来なかったことを悔やんだ。

 次がケンの順番という時になって、背後から「はちこ、ケン!」と呼ぶ声。振り返るとキッズチャーチのディレクターのローリーが、泣き笑いしながら思いきり手を振ってくれた。私も泣きながら手を振り返した。ケンは、パスターに「カモン、ケン!」と呼ばれると、躊躇せずに洗礼槽に入っていった。左側にパスター、右側に洗礼槽の外からパパが手を添えてもらい、父子御霊の御名によって、洗礼を授かった。

 洗礼を受けるつもりで用意していた人は着替えを持っていただろうけれど、そうでない人も大勢いて、みんな、着の身着のままで洗礼槽の中に入っていった。きれいな服の女性も、スーツの男性も…(洗礼槽の水は、ジーンズなどが色落ちしたのか、青緑色になっていた…汗)年配の人も、小さな子供もいた。文字通り老若男女。

 水から出てくると、係の人がタオルを手渡してくれて、「体育館にドライヤーともっとたくさんのタオルがありますよ」と誘導してくれた。体育館では洗礼を受けたばかりの人たちが、嬉しそうにタオルやドライヤーで体を乾かしていた。そして、洗礼を受けた人のための小冊子と、デボーション用のジャーナルをもらった。ケンはジャーナルをもらって大喜びしていた。帰りの車の中ではケンは嬉しそうにこう言っていた。「It was a difficult decision. But I knew I was ready. I'm glad I got baptized!!」

 
 夕方から、教会の仲間たちと別のミーティングがあって、そのことも書き留めておきたいのだけれど、それはまた別の機会に。ただ、その時聞いた話では、昨日、今日と、うちの教会で700人以上の人が洗礼を受けたらしい。 700人以上! 二日間で!
 みんなと話していて強く感じたのは、今日洗礼を受けた人たちは、決して感情的に煽られてつい雰囲気に流されて洗礼を受けたのでなく、これまで礼拝に続けてきているうちに、ずっと整えられつつあったのだろうということ。ずっとメッセージを通して、交わりを通して、何より聖霊様の内なる働きを通して、みんな養われていた。Readyの人が大勢いたのだと思う。今夜のミーティングでも、みんないかにこの教会で養われ、成長させられ、飢え乾きを満たされていたかを互いに分かち合った。私たちがこの教会に通うようになってから4年になるけれど、当時2500人だったのが、今では5000人を越えている。でも、少しも不思議には思わない。ここには、確かに神様の愛があり、いのちがあると、やってくる人がみな感じるのだもの。

 ほかにもまだ書きたいことがあるのだけれど、とても書ききれない。とりあえず、今日はここまで…

 私の携帯で撮った超ピンボケ写真。(汗)こんな写真しか撮れなかったのが残念!

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