ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

Bar Mitzvah

 土曜日に、友人の息子さんのBar Mitzvahに行ってきた。Bar Mitzvah(バルミツバー)とは、ユダヤ教の成人式のようなもので、男の子が13歳になったときにコミュニティーをあげて祝うもの。(女の子の式はBat Mitzvahバトミツバーと言う。)バルミツバーを迎える男の子は、ヘブル語でトーラー(旧約聖書モーセ五書)とハフトーラー(預言書)の一部を朗読する。この日のために、ヘブル語の先生からかなり特訓を受けるらしい。

 今回バルミツバーを迎えた子の両親は、私の大学院時代の友達。二人とも、プリンストンの心理学科で私の先輩だった。お父さんのボアズは、私のオフィスメイトで、彼とは2年間机を並べた。お母さんのリンダは別の研究室だった。ボアズはエルサレム出身のイスラエル人。二人とも、現在シカゴ大学の教授をしている。ボアズは大学時代は全然宗教的ではなく、豚肉でも何でも食べていたと思うんだけど、結婚して子供ができて、やはりユダヤ教の伝統の中で子育てしたいと思ったらしい。子供たちは、シカゴ大学の近くのユダヤ教の学校に行っている。

 シナゴーグも大学のそばだった。礼拝は3時間にもわたるもので、びっくり。しかも、礼拝の約3分の2くらいは、ひたすらトーラーとハフトーラからの朗読。入り口では聖書と祈祷書がわたされ、頭につける丸い帽子も貸してくれる。カンターと呼ばれるいわばワーシップリーダーが、美しい声で、独特の節回しで歌うように聖書を読み、祈る。ところどころ会衆も参加する。(会衆が参加する部分は英語)それが延々と続く。賛美はいくつかユダヤ教の賛美歌もあったようだが、大半は詩篇そのままだったと思う。
 途中で、壇上の奥に設置されている巨大な仏壇のような場所の扉がひらかれ(ark,つまり「神の箱」と呼んでいたような…)、中から大きな巻物を取り出す(長さ80センチくらい?)。カンターと数人の人が巻物をかつぎ、会衆のまわりとぐるりとまわる。人々は手を伸ばして巻物に触れていたりした。そしてまた壇上に戻ると、今度は会衆から数人が二人づつ壇上に上がり、巻物を広げて、ヘブル語で朗読する。指揮棒のようなものを持ち、それでなぞるようにしながら読んでいた。そして、礼拝の中盤くらいにきて、ついにバルミツバーの男の子が出てきて、彼もヘブル語で朗読する。無事朗読が終わったら、会衆がその子に向かってキャンディーを投げていた。すると、会衆の中から子供たちがわらわらと壇上に出てきて、キャンディーを拾っていた。(笑)厳粛なのだけれど、とてもアットホームな感じ。
 朗読の次は、短いスピーチもしていた。ユダヤ教社会でこれからは大人と見なされるということで、その心構えに関するスピーチだった。13歳であれだけ話せるのは立派だと思った。 そのあと、ラビが出てきて、短いお話。そして、祈祷書を使って、イスラエルのため、アメリカのため、世界平和のためなど、みなで祈った。とても感動的だった。
 何がいちばん印象的だったかと言えば、先にも書いたように、厳粛なのだけれど、会衆全体が一つの家族というか、信仰共同体であるのがとてもよくわかったこと。こういう環境で子育てできたら、確かに親は心強いだろうなと思った。人数は、大人から子供まで、100人弱くらいだったろうか。今回はバトミツバーだったので、私たちのように招待されて来た人たちも少なからずいただろうから、普段は50人くらいなのかもしれない。カンターは女性だったし、朗読者の中にも女性がいたので、完全に昔ながらのやり方というわけではないのだろうけれど、それでも御言葉をとても大切にしているのがよく伝わってきた。イエス様の時代も、こうして会堂でトーラーやハフトーラー(イザヤ書とか)を朗読したのだろうな…

 礼拝のあとは、バトミツバーを祝っての会食。私はユダヤ教徒ではないけれど、それでも受け入れられているのを感じて、とても居心地がよかった。3年後くらいには、いちばん下の息子さんのバトミツバーなので、それに参列させていただくのが今から楽しみなくらいだ。


 これは私とボアズ。客観的に見ると、彼もすっかり頭が薄くなって、おじさんに見えるかもしれないけれど、私の目には20年前のボアズと同じ。ボアズとおしゃべりしているとき、私が、「あなたの最近の論文読んだよ」と、論文の話しをし始めたら、隣でぼぼるパパが受けまくっていた… 

 彼の長男は大学2年生だそうで、4人で「時間が経つのは何て早いんだ!」と語り合った。
 私とぼぼるパパは日本から、彼はイスラエルからアメリカに来て、20数年前に知り合って、こうして細くても長く、交流が続いていること、嬉しいなと思った一日でした。

(式の最中の写真も取りたかったのだけれど、礼拝中の写真撮影は禁止だったので撮れなかった。)

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