ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

神の「御心(みこころ)」と「お心」

 しばらく前に「富田メモ」なるものが出て来て以来、昭和天皇の「お心」についての議論をあちこちで目にするようになった。昭和天皇のお心の件については、私の中では山下奉文将軍との関わりで、個人的にいろいろ思うところがあるのだけれど、それは思いっきり横に置いといて…

 私の中で、神さまの「御心(みこころ)」と「お心」は、いつも何となく区別されていた。「みこころ」というと、神さまの意志的なご計画のことを指していて、「お心」というと神さまの感情的な側面を指しているような感じに。たとえば、バビロン捕囚の頃に、神さまが一旦エルサレムを滅ぼし、それからもう一度それを建て直すというのは神さまの御心、それに伴う神さまのさまざまな感情(イスラエルの罪に対する悲しみ、怒り、痛み、憐れみなど)が神さまのお心、という具合だろうか。別の言い方をすれば、御心は神さまの脳からの指令で、お心は神さまの鼓動(ハートビート)…。(もちろん、神さまが実際に脳や心臓を持っているというのではなく、あくまで比喩ですが。)

 ダビデは、神さまの「心にかなった者」と呼ばれた(使徒3:22)。英語で言うと、a man after God's own heart だ。彼は行ないにおいては失敗もしたけれど、彼の心はいつも主のお心を求めていた。だから失敗の後も自分の心を頑なにすることなく、主の前にへりくだって悔い改めることができたのではないだろうか。悔い改めるには、その罪に対する神さまの悲しみを、自分の悲しみとして感じるプロセスが必要かと思うが、行動面の正しさや誤りにばかり気を取られ、主のお心については無頓着なら、私たちは真の悔い改めにも導かれないのかもしれない。

 一方で、主人の御心(ご計画)は的確に行なったものの、そのお心は意に介さなかった人物も聖書には登場する。ダビデの家来、将軍ヨアブだ。彼は第二サムエル記にたびたび登場し、戦いにおいては多くの勝利をダビデ軍にもたらした。さらにダビデとアブシャロムの和解を手伝ったり(第二サムエル14章)、ダビデが王らしくない行動を取ったり(同19章)誤った判断をした時(24章)にははっきりとコンフロントすることもあり、知恵のある有能な人物だったことが伺える。では、ヨアブはダビデの腹心だったのかと言えば、どうもそうではなかった。

 サウルの将軍だったアブネルが、ダビデこそ全イスラエルの王となるべき方だと悟ってダビデと和解しようとした矢先、以前自分の兄弟アサエルがアブネルに殺されたことを恨んでいたヨアブは、ダビデの意に反してアブネルを殺害した(3章)。またダビデが息子アブシャロムに追われていた時には、ダビデがはっきりと「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ」と頼んでいたにもかかわらず、王の気持ちを知りつつもそれを無視してアブシャロムを殺している(18章)。アブシャロムの死後、ダビデはそんなヨアブを退け、代わりにアブシャロムの将軍だったアマサを将軍に任命した。その後、よこしまな男シェバによる反乱が起きたが、アマサが軍を召集するのに手間取っていた時にヨアブは挨拶をすると見せかけてアマサを殺害し、再びイスラエル全軍の長に返り咲いた。(20章)

 ダビデの側近であったにもかかわらず、ヨアブはダビデと心を通わせてはいなかった。彼の行動は、ダビデに対する忠誠心からではなく、明らかに自分のアジェンダ、自分の利益によって動かされていたことがわかる。傍からみれば、いつもダビデの側にいて王の片腕として支えつつ、ダビデ軍に勝利を与えて来た存在のようでありながら、実際には王を王として恐れることをせず、自分の野心のためにダビデに従っていたに過ぎなかったのかもしれない。また、ダビデも、そんなヨアブの思いに気づいていたことだろう。(どことなく、昭和天皇と東条の関係を彷彿させる…?)

 興味深いのは、第二サムエル23章でダビデの勇士37人の名前が列挙されている箇所で、ヨアブの兄弟のアサエルやアビシャイ、さらにはヨアブの道具持ちまで名前が挙げられているにもかかわらず、ヨアブの名はないこと。あれだけダビデ軍に貢献したはずなのに、その名はダビデの勇士として数えられていないのだ!

 神さまの御心を知り、それを行なう者でありたいと願うけれど、ある意味それ以上に、主のお心を知ることを切に求め、その鼓動にあわせて生きる者でありたいと願う。ダビデに対するヨアブのようではなく、主に対するダビデのようでありたい。表面的に御心を行なうのでなく、主のお心を感じ、それを尊べばこそ、その御心にも誠心誠意を持って従う者に。I want to be a person who is after God's own heart. I want to listen to His heartbeat, and bring mine closer to His.

 主よ、私をあなたのお心を感じることのできる者に変えてください…

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