ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

ドーキンス vs. コリンズ

 昨日メモした去年のタイム誌の記事、リチャード・ドーキンス博士とフランシス・コリンズ博士の対談は、読んでみたらとても興味深かった。両者とも、世界的に認められた一流の科学者。しかし片や「神は妄想だ」と宣言してはばからない無神論者、片や創造主としての神、救い主としてのイエスを公でも告白してはばからないクリスチャン。
 この二人の対談を読んで、まず興味深いと思ったのは、ドーキンスも実は、神のような偉大な「何か」の存在がこの宇宙の創造の背後にあることを、ある意味認めていること。ただ、それが何かと特定することは今の科学ではできないので、科学者の使命としてその探求を続けるべきだと彼は言っている。どうにも説明できない事柄があるからといって、時間や自然法則のすべての枠外に存在するという「神」を持ち出してしまうのでは、話はそこで終わってしまうし、それは"the mother and father of all cop-outs" であり、科学者のすべきことではない、と。("cop-out" とは、言い逃れとか責任逃れ、という意味。)
 (科学者が探求しつつも、見つけられないでいることの)答えは神だと思いますか?というタイム誌の質問に、ドーキンス博士は、「There could be something incredibly grand and incomprehensible and beyond our present understanding.(現在の我々の理解を越えた驚くべきほど壮大でとうてい理解しきれないような何かがあるかもしれない)」と答えた。そこにコリンズ博士が「それが神ですよ」とすかさず突っ込むと、それに対するドーキンス博士の返答は、なんと、「Yes.」 ただし、その神が何であろうとも、ヤハウェの神である可能性だけは、とてつもなく低いと思う、と彼は主張する。対談の一番最後でも、こんなことを言っていた。「…自然界について説明するのに、知的なデザイナーなどという概念を持ってこなくても、私は十分な説明ができると思うが、それでも、知的なデザイナーという概念は、一目置くに値する壮大な考えであるとは思う。ただ、その知的なデザイナーが、人間が考え出した神であるというのが納得できない。オリンピアの神々だとかイエスがやってきて十字架で死んだとか、そんなことは宇宙のデザイナーである壮大な神に値しない。あまりに偏狭すぎる。もし神が存在するなら、どんな宗教のどんな神学者が提示した神よりも、はるかに壮大で、はるかに理解し難い存在であるはずだ。」

 うーん、ドーキンス博士、実は求めているんじゃないのかなぁ。科学者として、「神」という概念を科学的な説明の中に持ち出すことはできないけれど、それでもやっぱり、彼が見ているこの宇宙、自然の世界はあまりにも精巧で精密で壮大で美しく、何か「神」のような存在を認めざるを得ないものを、彼自身感じている… ところが、ではその「神」とはどういうお方なのかと周りを見渡した時、人間が説明している神は、彼が科学を通して自然界の中に見ている「神」よりも、あまりにちっぽけ過ぎて、それで彼は絶望してしまっているのではないかしら… 
 ドーキンス博士は、著書『神は妄想である』の中で、特にクリスチャンたちに徹底的に嫌悪を示しているらしい。その偽善や、欺瞞や、排他的なところや、時に暴力的でさえあり… 彼が見ている「神」はもっとずっと崇高な存在なのに、彼の周りにいるクリスチャンたちからは、そのように崇高な神を信じているというにはあまりに似つかわしくない言動や態度ばかりが見えるので、それで彼は、神を信じたくても信じられないでいるんじゃないだろうか、そんな気がしてしまった。ドーキンスが神を信じるにあたってつまづきとなっているのが、「科学」そのものではなくて、クリスチャンたちのモラルであるのなら… そう思ったら、申し訳ないやら悲しいやらで、涙が出た。

 それにしてもね、私たちがどれだけ「科学的データ」や「証拠」を積み上げていったとしても、それだけでは人はキリストを主とは告白できないのだと、改めて思わされた。いくら自然界に創造主の存在を垣間見ることはできても、キリストを主と告白するためには、人は自分の魂と向き合わないといけない。 私たちに必要なのは、創造主だけでなく、救い主なのだから。そして、イエスがこの地上にやって来て、十字架で死んだというのが、自分の魂のためであるとわかったなら、ドーキンス博士ももはやそれを「偏狭」だとは呼べなくなると思う。


 追記:フランシス・コリンズ著『The Language of God』の邦訳は、『ゲノムと聖書』というタイトルで2008年9月にNTT出版社より刊行されました。

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