ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

追記: 「信仰をもたないものの祈り」

 追記です。

 大江健三郎さんの本を読んでおられるとのこと。「信仰をもたないものの祈り」という題の講演があったと聞き、大江さんも、祈りたくなる時が、きっと何度もあったのだろうなぁと思いました。特定の神に対するコミットメントはできない(したくない)けれど、人間は、きっと本能的にと言っていいほど、祈りたくなる瞬間を何度となく経験するものなのだと思います。何か自分を超越した偉大で善なる存在に、自分の力や知恵ではどうにもならない事柄について、助けを求めたくなる時が… 
 もう何年も前になりますが、大学時代の友人から、「祈る対象としての神を知りたくなったから、教えて欲しい」と突然メールが来たことがありました。彼女はその頃、いろいろ厳しい局面を迎えていたようでした。人は祈りたくなった時、誰に向かって祈るのでしょう。祈る対象がわからないままに祈ることに、何の慰めや確信が持てるのでしょうか。何らかの「神」を想定することなしに、祈れるのでしょうか。
 でも、大江さんにとっては、きっと神の存在を認めることが難しかったのだろうと察します。神がいるならなぜ?と思うようなことを、個人的にも社会としても体験し、いくら祈りたくても、神に向かって祈る事だけはできなかったのかもしれません。「神なき時代の救い」をテーマにした小説も書かれているとのこと、神の存在は受け入れられなくても、それでも大江さんは救いを求めておられるのですね。「私は神なしでも、rejoiceと言うよ」というセリフも、彼の切実な思いなのだと思います。

 実は、大江さんは戦後40周年の時、当時私が留学していたカリフォルニア大学に反核に関する講演にいらしたことがありました。大学の主催で歓迎会があったのですが、私は日本人留学生の特権で、大江さんの隣に座り、いろいろお話を伺うことができました。(ここにはちょっと書けないような、下ネタジョークも披露してくださいました。笑)大江さんは、博識で、ユーモアとウィットに富み、ひょうひょうとした、それでも包容力を感じさせる暖かい方でした。
 結局こういう問題は、一般論としてひとくくりにはできないと感じます。たとえばタロウさんにはタロウさんの背景とストーリーがあり、大江さんには大江さんの背景とストーリーがある。この地上のひとりひとりについて同じことが言えますよね。そして、私は、この世の造り主であり救い主である神様が、ひとりひとりの人生のストーリーの中で、私たちに個人的に出会ってくださることを祈ります。そして22年前のカリフォルニアでの初夏の日を思い出しつつ、大江さんのためにも祈りたいと思います。

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